第一章 ダンガン
――恵利江工業高校、生産技術部部訓――
「技術者が武器を造ると使われる」
「だから」
「技術者は人を信じる事が出来ない」
〝でも〟
「ガクセイが守るんよ、これからは。おねがい、それとバイバイ」
それが先輩の最後の言葉だったと記憶する。おれは先輩が好きだった。笑った顔も怒った顔も、泣いた顔も悲しんだ顔も、みんな好きだった。その最後の瞬間まで・・・好きだった。
ドゥン!
「ハッ!」
大きな物音に目が覚めた。まるで銃声みたいな音だった。
チュン、チュン、
雀だろう鳥の鳴き声に、朝になったのだと気が付いた。工場のコンクリートの床から背中を離して起き上がった。
「あ、起きた。よく眠れた?」
「コッペ、今の音は?」
「僕が扉を閉めた音だよ。どのみち起こそうと思っていたから、丁度良かった」
目の前の親友の手には朝刊が握られている。今日のものではない、一年前のものだ。
「ガクセイ、これ」
コッペは手に持つ朝刊をおれに差し出した。昨日頼んで、探してもらっていたのだ。
「ありがとう。手間だったろ」
「ううん、引き出しにあっただけだから」
受け取った朝刊は開くまでもなく、目当ての記事を載せていた。〝駐日アメリカ大使銃撃犯自殺〟と。
工場の天井にある換気口から差し込む光、その光を、一丁の銃が鈍くはね返し転がっていた。手に取って銃口をコッペに向ける。
「怖いか?」
「すごく怖いよ」
互いに鼻で笑った。もう何度もこうやってふざけ合った仲だから、この銃が撃てないことをコッペは知っている。この銃はおれが造った銃だ。
〝Versprechen〟(フェア・シュプレッヒェン)
ドイツ語で〝約束〟と名付けられたこの銃は、おれの三年間の工業高校人生の全てを注ぎ込んで完成させた、単発中折れ式の拳銃だ。 トリガーガードを引き金と同様引くことで銃身を折る仕掛けで、口径12mm、銃身の内側に、弾に回転を加え命中精度を上げる溝、〝ライフリング〟を刻みたかったが工具が無く出来なかった。その所為で有効射程は恐ろしく短い。発砲と同時に弾が乱回転しながら逸れてしまうだろう。もし撃てたらの、話だが。
「これからどうするの?」
「そうだな、あと一日匿ってくれ」
「ん、わかった」
悪いな、そう言おうとして、コッペの屈託のない笑顔に阻まれた。
何があったか。それはおれが訊きたい。一年前、先輩が撃たれた〝あの日〟。もう取り戻す事の出来ない〝あの日〟。一体何があったんだろう。なぜ先輩が撃たれなくちゃいけなかったんだ・・・。
「ガクセイ?・・・」
思わずハッとなってコッペと顔を見合わせた。
「どうしたの? 急に黙り込んで」
「いや、・・・ちょっと憶い出してさ。何でこんな事になっちまったんだろうって、さ」
「・・・朝食出来てるから」
一瞬困惑した顔になって、コッペは答えを濁したままおれの前から立ち去った。おれは〝ああ〟とだけ返事をした。今のはおれが悪い。
クシャッと手に持つ一年前の新聞を握る。そこにはこう書いてある。
〝駐日アメリカ大使が銃撃され死亡〟
〝使用された銃器は特殊〟
〝板東広高容疑者、自宅で自殺。遺書に共犯者の存在を明かす内容〟
そして最後に〝共犯者の女子高生、自殺〟
自殺である。しかしそれは真実ではない、おれはこの目で見ていた。先輩が撃たれる音も、血も犯人も全部、ぜんぶをだ。
ドゥン!
撃たれた先輩の最後の表情まで、おれはハッキリと憶えている。おれは歯を食いしばり、片膝を突きながら、意識を失うまいと必死になって見ていた。市松唯と言う名のその人は、死んだ。殺された。おれの大好きな先輩は、おれの目の前で、静かに地に伏した。動かぬ体に、犯人達が自殺の細工を施しているうちに、おれはその場を逃げ出した。激痛の走る体を引き摺って、考え得る限りの罵詈雑言を自分に浴びせながら。
バサッ、シュッ、
おれは生きている。着替えながらあの時した決意を、また胸の引き出しから取り出した。おれは生きている。先輩の冤罪を晴らすため、犯人共を裁くため。そうしなければ、おれはこの世を受け入れられない。逃げ出した自分を許すことが出来ない。
ガタ、タンタンタン、
小藤鉄工所、それが小藤鉄平、通称〝コッペ〟の実家。工場の鉄階段を登ると、ようやく生活空間が現れる。
「何だよ、制服に着替えたのかよ」
「後で服貸してくれ、急いでたもんで作業服とこれしかないんだよ」
「学校で襲われたんだっけ?」
「そうだ、詳しく話してなかったな。シローに旋盤教えてたら来たんだよ、あいつ等が」
「あいつ等って・・・あいつ等?」
「そう、あいつ等だ」
気付かない内に拳を握っていた。二人組の黒スーツの男、一人は坊主頭の〝コンドー〟もう一人が勁健な目をした〝イナミ〟。こいつ等が殺した。こいつ等が犯人だ。先輩の次はおれを狙ってきたのだ。
・
グゥイイイィイイン
鳴り響く金属爪の回転音、いや、モーターの音か。恵利江工業高校を卒業して、おれは春休みの空いた時間に、生産技術部の後輩に旋盤を教えていた。後輩と言っても二人しか居ない、今日来ているのは二年生の稲田御代、センスのある良い奴だ。シローもおれと同じくらい、先輩が好きだった。
ガチャキンッ! シュウウウゥン、
シローは始動レバーを戻しブレーキを踏んだ。回転していた材料が止まったので、寸法を測ろうとした時だった。先に気付いたのはシローだった。おれもシローの目線に気が付いて、その方向に目を向けた。瞬間・・。
「コンドー・・・」
見覚えのある坊主頭が目に入った。知らぬ間に開いた口を、おれはシローに向けた。
「伏せろ! シローッ」
チャ、
コンドーの差し出した手には、黒緑色の物体。間違いなく、銃。
「コンドー、今は撃つなよ」
この声は、イナミ? ・・・。
旋盤の陰に隠れながら、入り口の鉄扉から現れた次の男を見た。確かだ・・・あの目、あのスーツ。一年前に先輩を撃ったあいつ等が、なぜまたここに来た?
「賀来先輩、一体何が」
「あいつ等だ」
「あいつ等って、まさか市松先輩を撃ったって言う・・」
カッ、カッ、カッ、
コンクリートの床に革靴の乾いた音が高く響く。おれの表情から全てを悟ったシローは、手近にあった箒を掴んだ。
「賀来誠。稲田御代で間違いないな」
イナミの声は胴に響いた。
「イナダです!」
「ああそうか。イナダね、憶えておこう。さて、おとなしく出てこい。ここで私に抵抗の無駄を論じさせるな」
大袈裟なジェスチャーで出てくる様促すイナミだが、その後ろで未だコンドーは銃を構えていた。
「テメェ等一体何者なんだ!?」
シローが大声を出す。無理もない。
「私か? 伊波雄生と言う。警察予備隊情報室、実動一課の者だ、こいつはコンドー、以後よろしく」
正直に答えたのはあいつの性格か、それとも言っても分かるまいと高を括っているからなのか。おれは立ち上がり、イナミを睨んだ。
「賀来誠だな、一緒に来てもらおうか」
「警察が今更何の用だ」
「訊きたい事がある」
「おれを捕まえるのか」
「これが任意に見えるか? 付いてこい、でないと撃つ」
コンドーに目線を送ったイナミを見て、こいつ等は本気だと確信した。合法的な手段を取る気は始めから無いらしい。
「シローは関係ない、見逃してくれ」
「部外者に用は無い」
シローに顔を向けると、未だ状況が整理出来ていないのか目線が泳いでいた。
「荷物と、着替えて良いか?」
「・・・コンドー、見張って連れて来い、私は先に戻る。心臓と頭以外なら撃っていい」
カッ、コツ、コツ、コツ、
イナミが消えると、コンドーが早くしろとアゴを振った。
「シロー動くな」
「でも・・・」
「ダメだ、お前まで巻き込めない」
不思議とおれは落ち着いていた、何か起こる予感があったからだ。
三日前、家に小包が届いた。中には一発の弾丸と、手紙が二通。一通は先輩の手書き、もう一通は知らない人からのものだった。手紙の内容は手短におれの卒業を祝う言葉と、自らの死を予感しての言葉があった。死んでしまう前に遺されたものだった、やはりあの人は何か知っていたんだ。殺されてしまう程の何かを。
おれは知りたい、先輩が死んでしまった理由全て。きっとこの歩みはその歩みだ。少しでも真実に近づけるのなら、捕まるのだとしても、歩みは止めない。
ガチャ、
荷物があるのは溶接工場なので、そちらに移動した。コンドーはさすがにもう銃は仕舞って、こちらを注視するだけだった。学校は基本出入り自由だから侵入するのは簡単だろうが、人目があるかも知れないのに銃を抜くとは、どういう神経をしているんだ? 先輩を撃ったのだからまともな奴等でないのは明白だが・・・警察の人間ではないのか?
おれは一体どうなるんだろう? 先輩の汚名を晴らすまで、死んでも死にきれない。ちらりと、窓の外を見た。春の日和が桜の新芽に降りそそいでいて、遠くからは電車の音が微かに聞こえる。逃げてしまおうか、この平和な日常の風景へ。どうされるかは知らなくても、どうなるかは知っている。見て知っている。
ドゥン!
多分こうなる、最終的にはそこしかない。人が銃を持っているのだから。
カタンッ、
鉄板の床に安全靴を置き、運動靴に履き替える。
コンドーが一人だけ。銃を持っていなければ、捕まることより襲って真実を吐かせる方を選んだかも知れない。多分先輩の為ならそれくらいの勇気は出せた。だがダメだ。銃が相手では勝てないし、近くにシローも居る、確実に巻き込んでしまう・・・それはダメだ。
着替えが完了しスポーツバッグを肩に提げると、コンドーが出入り口の鉄扉を開けた。その時だった。
ブン!
緑色のペンキで塗られた箒の柄が、背後からコンドーの膝裏を打ち抜いた。
「!!」
何も言えず崩れ落ちるコンドーの影から、シローの姿が目に入った。
「賀来先輩! 逃げて!」
どうやらシローのほうが勇気を出せたらしい。
悶絶するのも一瞬で、直ぐコンドーは倒れたままに銃を抜こうとした。
気がついたシローが跳び付いて、コンドーの右手に掴みかかった。コンドーの銃を両手で床の鉄板に押しつけ、抑え込もうとする。
ガチッ、チッ 、
しかし体勢がまずい、長くは保たない! 助けないと・・・。顔を上げ、考え、瞬時に目の前にあった電源スイッチを入れた。
グオオオオォ、
起動音を響かせたのはアーク溶接機。
溶接棒を素早く取り付けると、コンドーの銃へ向け振り下ろした。
「目ェ瞑れシロー!」
バチッヂヂヂヂヂィ!
今日の午前中に使って、電極も電圧もセットした状態だったのが幸いした。シローは反射的に頭を振って見ないようにしたが、銃に集中していたコンドーの目には、放電の閃光が直撃した。
「!~~~~!」
カメラのフラッシュの何倍もの光量に、さすがのコンドーも何がなにやら判らなくなってしまったらしく、目を硬く閉じ頭を振って、もがくばかりだった。
今しかない!
「シロー、そこの鎖とれ!」
廃材をいれるドラム缶から垂れて出た、赤錆まみれの鎖を指差す。
「はいっ」
「使えっ」
手に持つ電極を放り投げ、またすぐ近くの、今度は半自動アーク溶接機の電源を入れた。
グウオオォォオオ、
コンドーの右手は銃と鉄板の床に挟まれ抜けない様で、更にその体を二人がかりで鎖で張り付けていく。
バヂッ、バヂヂヂィ、ババッ、バヂヂヂィィ、
「・・・・・」
床に貼り付けたハゲ頭が、溶接の熱で火傷しようがどうでも良い、だが叫ば
れてイナミが来たら面倒だ。
完全に貼り付けた所で、暴れるコンドーにバケツの水をぶっかけた。
ジュウワワワワジュウウウ、
ガチン!
最後に溶接の電源を落として、おれはシローに向き直った。
「どうしよう」
「逃げるんですよっ、こいつ等市松先輩を撃った奴等なんでしょ!!」
「だからって逃げるだけじゃ・・・オイ、コンドー。なんで先輩を撃った、なんでおれを捕まえる、答えろ!」
コンドーは口を開かない、助けも呼ばなければ、おれの問いに答えようともしない。
カシュッ、
床に張り付いたコンドーの拳銃(グロック17)から弾倉を抜いた。重い、手のひらにピッタリと乗るそれは、十六人分を殺せる威力を秘めている。おれを殺すつもりだったのは十分判った。判らないのは、その理由全て。廃材入れのドラム缶に弾倉を放り込んで、コンドーに向き直る。
「コンドー!」
思わず声を荒げてしまう、それでもコンドーは眉一つ動かさない。畜生。
おれはシローの手から箒を奪った。
その時だった・・・。
コツーン、カツーン、
振りかぶった手を止め、シローとおれは目を見合わせた。この足音はイナミ⁉ もう来やがったのか? ・・・まずいっ、これはもう何の言い訳も立たない、早く逃げないと。
バッ、
コンドーがイナミの足音を好機と見たのか腕を振った。すると二つの銃口が現れた。
「デリ・・・ンジャー」
スーツの袖に仕込まれた小型銃をコンドーは握った。
「走れっ! シロー」
コンドーは腕が自由に動かせないので、手首だけでおれ達を狙ってきた。
走り出したおれ達の後ろで、甲高い銃声が二つ響く。
おれ達はもう、止まらない歯車に巻き込まれてしまったんだ。
目の眩む様な春の日差しへと、おれ達は跳び込んだ。逃げるんだ、早く、速く!
過去が来た。真実を引き連れ、おれを撃ち殺しに。だから逃げろ、今は逃げろ。真実から遠ざかってしまうけれど・・・誰かを失うのはたくさんだ。シローをこれ以上巻き込ませられない。走るんだ、おれを助けようとしてくれたシローの為に。
・(イナミサイド)
ガチャン! ダタタタタタッ、
「コンドー、何をやっている」
「アウ・・・アゥ・・」
「溶接の練習なら上出来だな、さっさと抜けろ、計画はこれからだぞ」
「・・・・・」
ガチャ ガチャ チャ スッ、
「計画通りで・・・です・・ね」
「ああ、」
・(ガクセイサイド)
学校から逃げた俺はそのまま、コッペの実家に逃げ込んだ。一夜明け、今に到る。
「それで? シローはどうしたの?」
「別れて逃げた、本命はおれだろうから、おれが近くに居たら危ないだろ?」
「ふぅん、考えてたんだ」
時々サクッと嫌みを言うよな、コッペって。
「ごちそうさん」
「ハイ、お粗末様」
朝食は和食で、久し振りにうまい飯が食えた。
ブオオォォンロロロロォン、
朝食の片付けをしようと立ち上がると、騒々しいエンジン音が遠くから・・・次第に近所から。
バォ! ブロロロロ!
・・・家の前から。
ロロン・・・、
止まった。エンジン音には心当たりが一人いて・・。
ガタンッ、タンッタンッ、タンッ、
早足で鉄階段を駆け上がってくる音に、誰が来たかを確信した。
バタンッ、
「オーッス、生きてるか野郎共ぉ~」
扉を開けて入ってきたのは、おれとコッペの同級生、加賀志貴。
ピンク色のウィッグを揺らし、生産技術部の魔王と呼ばれた女が現れた。
「よぉガクセイ、お前い一人前に命狙われてるらしいな」
どこで聴いたか知らないが、なんでこいつこんなに嬉しそうなんだろう。コッペが茶碗を持ったまま応対した。
「シキさん、何処でそのことを?」
カチ、パン!
「はぅ!」
コッペがシキのリボルバーで撃たれた。ガスガンなので多少痛いだけで済む。シキ的には〝黙れ〟の言葉の代わりだろう。
「で、何人返り討ちにした?」
開いた瞳孔のままガスガンを手にこちらに寄ってくる女に・・。
「ひ、一人であります」
思わず両手を上げてしまうおれ。
「? ・・・シローはゼロって言って黙ったよ?」
黙らせたんだろ、その右手のリボルバー(コルト・シングル・アクション・アーミー)で。
恐ェよ、何でこんな奴が同級生なんだよ。
「どっちぃ?」
多分なんと言っても、結局は撃たれるんだろうなぁと思った。女ってそういうものだと記憶している。おれは〝ゼロの方です〟と言って・・・カチッ、パン!
撃たれた。理不尽な仕打ちに一言。
「至近距離で撃つなよ」
おれの言葉にコッペがさらに突っ込んだ。
「人に撃つのがダメでしょ!」
パン!
コッペがまた腹を撃たれた。突っ込みなんて入れるから。
「グウおおおお」
目の前に転がる親友に、フォローの言葉が浮かびませんでした。
「お前何しに来たんだよ、」
転がって痛がるコッペに手を貸しつつ、目の前で楽しそうにしている魔王に申し上げた。すると一度頷いてから、ガスガンをホルスターに戻して、シキはおれの胸倉を掴んだ。腕力はともかく握力ではとてもシキには敵わない。それ以前に、シキの手に込められた感情が、おれを決して放そうとしない。言いたい事は一目で解った。黙ったシキの顔に、笑みはない。そこには・・・一年前の〝あの日〟のおれの顔があった。
ガバッ、ガン!
「痛ッ!」
頭突きを食らったが当然の事と思って受け止めた。これがシキの怒りなら、一体何万分の一なのだろう。
「これで許す! もう逃げるな、今度こそ挑め! お前はその為に生きているんだろうが!」
一転して声を荒げたシキの言葉に、本気で答えなければただでは置かないぞ、という気迫を感じた。
「分かってる・・・もう逃げないし、もう黙ってられない、やるさ」
「フンッ」
満足したのかシキはおれを放し、椅子に座った。
「オレも協力してやる、嬉しかろ?」
「僕も協力するよ、ガクセイ」
シキとコッペはおれの方を見て言ってくれた。シキの言葉通りだけど、やっぱり嬉しかった。
「ありがと、助かる」
「それで、計画とかあるん?」
「え?無いけど」
「・・・お前い達、馬鹿改め無双馬鹿に改名したらどうだ」
「二人いるのに無双かよ」
確かにこれと言って何の案も計画も立てていないけど、襲われて昨日今日で何を思いつけと言うのだ。
「相手は警察予備隊だぞ、分かってるのか? 下手しないでも消されるぞ」
「ゲッ・・・」
いやまぁ・・・だろうなぁ、あの二人が現れたんだから。
「そのケイビ隊ってなんだ? 警察か?」
シキは何故か敵のことを知っているらしい。襲われたのはシローから聴いた・・・いや、聴き出したらしいが、なぜだ?。
「ふー呆れた。オレもFPSからの又聞きだから詳しくないけど、戦後出来た国家暗部らしい」
「何で今、そんな連中がガクセイを狙うのさ」
コッペの質問は核心だった。終わったはずの事件がまだ終わっていなかったとでも言うのだろうか・・・。
ガサッ、
シキが後ろのポケットから何かを取り出した。
「お前い達にも届いたろ? 先輩からの手紙。これが多分、ガクセイが消された理由だ」
「あ、間違えた。消されかけた理由だ」
「本人目の前にして、勝手に殺すなよ」
俺の突っ込みに反応はなく、シキは話し続けた。
「問題はこの手紙より、この手紙を出した奴の方だ、明らかにオレ達より先輩と親しくて、オレ達より深く事件のことを知ってる」
先輩の手紙を預かっていたのだから、その事に異論はない。しかしシキの出した紙片は一枚、先輩からのものだけ。おれに届いたものより遙かに少ない、つまり・・・一番大事なものを受け取ったのは、おれだけか。
「ガクセイ、お前いだけが知る情報、もしくはこの手紙に関する何かを、お前いは所持していないか? オレの手紙の中に、既にお前いが狙われるかもしれないと書いてあった。もしかしたら先輩は、お前いが狙われるよう仕向けたのかも知れない」
先輩がおれを狙わせた? その訳は多分、この手紙の差出人に訊けば分かるだろう。イニシャルだけは分かっている、それと字面から恐らく女性とも。
おれはスポーツバッグから、送られてきた小包を取り出し、出来るだけ落ち着いて喋り出した。ふと、イナミがおれに荷物を持たせるのを許した訳が分かった気がした。
「名前はミスM・Y。存在しない筈の弾丸と、(最終工程)をおれに送ってきた」
ガタンッ、
コッペは四日前のおれと同じ反応をして椅子から落ち、普段クールなシキでさえ目を丸くした。
「納得、」
シキの独り言が静まりかえった室内の空気を僅かに揺らした。それ以上言葉が出なくなってしまったのである。無理もない。いま目の前にあるのは、この世でたった一発しかない12mm自製専用弾、先輩の造った〝フェア・シュプレッヒェン〟からのみ発射可能な弾丸。
銃の〝フェア・シュプレッヒェン〟は先輩とおれの二丁ある、だが、弾丸は一発しか存在しない、それがここにある。一年前、制造者である先輩を貫いた筈なのに。この弾丸は間違いなく先輩が造った物だ。弾頭にちゃんと〝市〟と刻まれている。なら先輩は何に貫かれたんだ? おれはしかと見ていた。イナミが〝フェア・シュプレッヒェン〟で先輩を撃ったところを。ではあの時発射されたモノはなんだったんだ? もしや・・・あいつ等の造った弾丸? それなら・・・。
バサッ!
思考の途中でシキが、最終工程の書かれた手紙を掴み、目の前で大きく広げた。そう、そっちだ。更に大きな問題はそっちなのだ。弾丸は不思議ではあるが正直嬉しいモノだ。しかしこの最終工程はそんな生やさしいモノではないし、まして嬉しいモノでは決してない。存在してはいけないモノなんだ、これは。
・(一年と少し前)
「シキ、ガクセイ、コッペ、少し話したい、来てくれる?」
その日、いつも通りの微妙に違う京訛りで、おれ達三人は先輩に呼ばれた。先輩の名は市松唯、この学校で廃部寸前だった生産技術部を立て直し、おれ達を技術者に育ててくれた恩人。部員は二年のおれ、コッペ、シキ、それと電気技術部とかけもちのパソコン馬鹿、田辺一、通称FPS。一年がシローだけの先輩を合わせても六人の小さな部活だ。
呼ばれるままにおれ達三人は、溶接工場の荷物置き場の机についた。先輩は作業服でなく、珍しくちゃんと制服を着ていた。
「憶えて欲しい事があるん、頼まれてくれるぅ?」
変な訛りで口を開いた先輩に、おれだけでなく、コッペもシキも違和感があったようだった。おれ達に頼む? いつも通り先輩権限を使えば良いのに、その日先輩は、おれ達に選択権を与えた。だが誰も反対することはなかった。おかしいな、とは・・・思いつつも。
「三人にはそれぞれ(原料)(分量)(行程)を憶えて欲しいんや、(最終工程)の(分離)はウチが憶えてる。良い? この製造法は絶対に誰にも話してはダメ、三人のうちでもや。自分の事だけしっかり憶えて欲しい」
先輩の笑顔が異様だった。そんな気配でもないのに、顔だけは真剣味を帯びまいと、笑っている様だった。
「これで終い、何なのか分からんゆう顔やね・・・でも仕方ないんよ、言えんのやウチには、この製造法が何なのか」
それぞれ、おれは(原料)、コッペが(分量)シキが(行程)を教えてもらった。しかし何を造り出すモノなのか、おれ達にはさっぱり解らなかった。そして先輩も言えないのだと言う。ただ秘密にして、忘れないでくれと、頼むばかりだった。一体何を隠しているのだろう? とか、なぜ部分的に教えてくれたのか? とか、いろいろ思う所はあったものの、先輩に無理して訊いてみようとは思えなかった。でも・・・いや、だからふと気になって、〝あの日〟訊いてしまったんだ。とてもとても不用意に、サラリと。
去年の春休み、卒業してしまった先輩がたまに遊びに来る・・・そんな一日だった、〝あの日〟は。
「先輩、ずっと前に教えてくれたアレは何だったんですか? 海水とか水銀が原料って」
「そうやね、良いよ。教えてあげる」
その日は先輩とおれだけが学校に来ていた。だからと言う訳でもないだろうけど、先輩は俺一人だけに秘密を話してくれた。
「アレはね、悪魔の発明。ウチが約束に刻んだモノや。技術者が命がけで守らなあかん、創り出してはいけないモノ。ウチは・・・〝いちご〟って呼んでる」
言っている意味は解らず、約束の名に先輩がこう続けたのだけは、心に強く残った。
「ガクセイが守るんよ、これからは。おねがい、それとバイバイ」
それが、先輩の最後の言葉だったと記憶する。
先に帰った筈の先輩を追って校舎を出た。そこでおれの目に飛び込んできた光景は、青春の一ページに綴るには余りに衝撃的で、破壊的だった。
イナミが突きつけた〝フェア・シュプレッヒェン〟に驚いて跳びだそうとしたおれに、先輩は気が付いていたと思う。だから指先を振って〝来るな〟と、そう伝えて来ていたんだ。おれは校舎の影から出ることも出来ず、その瞬間まで見ていた。微笑みのある、先輩の横顔を。
ドゥン!
おれは逃げ、そして直ぐ意識を失った。目を覚ましたのは、それから一日後のことだった。目を覚ましたとき近くにはコッペが居た、夕焼けを見ていた。その横顔を下から眺めて、ああ、こいつに助けられたんだなと思った。第一声になんと言ったものか、俺が目覚めたことに気付かぬ横顔に、口を開けたまま迷っていると、ツーと目から涙が流れ落ちた。
「夕焼~け小焼~の赤とんぼ~負われてみたのは、いつの日か・・」
コッペが童謡を歌っている。
「―――先輩が―――死んだ―――」
俺はコッペの童謡に最悪の言葉を重ねた。自分でも思い出して、認める為に。
「・・・起きたの?」
「今な・・・」
「――――――」
グルグル回る昨日の記憶。何があって、何が無くて、何が現実で、何が夢だったのか、自分でも分からない。ただ一つ確実に、おれがベットで寝てるって事は、先輩が撃たれたって事。
「・・・・・」
〝何があったの?〟とコッペは訊かないし、おれも訊かない。二人とも別々の方向を見ながら、相手が先に真実を教えてくれるのを待っている。おれ達は多くを知らない。互いに相手が馬鹿だと言うことは知っているから、多くを語ろうとする。けれど手元には、少なくて残酷な真実しかない。器用な先輩が羨ましかった、剛健なシキに憧れた。おれ達は不器用で気弱な男だった。ただただ暮れ落ちる日に、己の心の内を明かすのみ。言葉は無く、それ以上に表情が無かった。遠くの方で聞こえる子供達の笑い声にさえ、おれの心は掻き乱れた。
悲しみの次は怒りだった。撃つ前の会話から、二人の名前は知ることが出来た。イナミとコンドー、そして自分、怒りの矛先は三人になり、沸々と悲しみの青が怒りの赤へと変わっていった。それなのに顔が動かない、表情が作れない。まるで仮面のように張り付いたこの表情の名はきっと〝自失〟。
ああそうか、どっか行っちゃったんだ、おれ・・・。
「コッペって、変な渾名だったよな」
「・・・そうだね」
「・・・・・」
「ガクセイって・・・良い渾名だったと思うよ」
「だろ・・・おれもそう思う」
「・・・・・」
「・・・・・」
ダンッダンッダンッ
足音? うるさい。誰だ? あいつかな。
バタン!
「生きてるか、野郎共!」
煩い。ドアを叩き破らんばかりの勢いで突入してきたのは茶髪の女。
顔を上げ、こちらを見た。垂れ下がった長い髪の間からは、濁った光が宿る目がのぞく、怒ってる? ・・・そうだよな。
バッ・・・バッ・・!
微かに撃鉄を起こす音だけ聞こえた。その音に反応して、コッペはおれとシキの間に割って入った。突然の発砲音に、心臓を素手で握られたのかと思うくらいの痛みを感じた。
パラパラ、コン、コンコンコン、
四発のBB弾が床の上を跳ねたのは、コッペがおれを庇ってくれたから。
「シキさん止めっ・・・!」
ドカッ、
シキの前蹴りにコッペはベットの上に落とされた。
カチャ!
邪魔者が居なくなったので、シキは直接おれの額に銃口を押し付けた。振り下ろされる瞬間の銃身は、まるで日本刀のようで、身動き一つ出来ずに見とれてしまった。
「・・・ッ・・ッッ・・・」
シキはコッペと違って、おれに気遣いなんてしないし、自分に迷ったりしない。
「お前い何を見た! 言え! 何が起きた! 何で撃たれた! 言えっ!」
知りたいことを知ろうとするし、怒れる心を抑えたりもしない、それでも〝自失〟なおれは、ただ一言返す事が精一杯だった。
「守れなくて・・・ゴメンナサイ」
ガシャッ、
「クッ・・・ッ・・」
「―――――――」
突然泣き出してしまったおれにつられる様に、シキも銃を取り零し泣き出した。
「・・・グスッ・・ッ・・・何でだ・・・何でだ!」
シキの最後の叫びが、地平に隠れて半分になった太陽の光に溶けて消えた。
体が寒い、それでいてポッカリと体の中心だけ感覚が無い、真っ黒な穴が開いている。心とかじゃなくて本当に、この胸の下あたりに、黒く大きな穴。
「チクショウ・・・、あいつ等・・・あいつ等だ畜生、許さねぇ・・・よくも、おれ達の先輩をよくも!」
「見たのか? 見たんだな・・・誰だ。先輩を撃ったのは誰だ、何処のどいつだ」
悲しむのもわずかに、おれの言葉を追ってシキが迫ってきた。
「黒スーツの二人組だ。あいつ等が撃ちやがった・・・絶対許さない・・・ゆるせねェ」
「討て! お前いが仇を取れ、取って討ち果たしてしまえ! 応報だ、生きるなら応報しろ」
パン!
シキの頭をコッペが叩いた。
「取り違えたらダメだよ、裁くんだよガクセイ」
シキの鬼気迫る台詞に、コッペが珍しく手を出した。シキの頭を叩いたコッペの目は本気だった。コッペはおれとシキには無い道徳を持っている。まともな一言が、熱くなった俺達の感情に水を差した。
その後、随分と時間をかけて、おれの傷が癒える頃には全てを話し終えることが出来た。しかしどうにもおれ自身、先輩になすり付けられた汚名を直視することが出来なかった。この世に絶対があるのだとしたら、それは先輩のことだと思う。それくらいに、おれの中の先輩は完璧なのだ。だからおれは魅せられ、失ったとき・・・何も見えなくなったんだ。見えないんだよ本当に・・・おれの右目は悲しみに塞がれてしまった。この右目にある闇はおれの悲しみ、この左目にある光はおれの憎しみ、おれはそんな両目で、新たな約束、〝フェア・シュプレッヒェン〟を造った。先輩の造ったものを模して、しかしその約束とはまた違う、〝臨後〟と言う名の約束を銃床に刻んで。
・(現在)
「約束が・・・違う・・」
少し過去を回顧していたおれに、シキが問い詰めるように口を開いた。そうだ、約束が違う。この最終工程の存在は・・・、先輩自身がフェア・シュプレッヒェンに刻んだ約束を違えてしまっている。
「約束って・・・アレのこと?」
コッペの呟きを仮にシローやFPSが聴いても、理解できなかっただろう、それはここに居る三人と先輩だけが知っている。
先輩はおれ達に〝いちご〟の作り方を教えた後、銃を造り、フェア・シュプレッヒェンと名付けた。おれ達がそれぞれ、先輩から受け継いだモノを忘れぬように、固く守っていくように。約束の証に、あの銃は造られたのだ。
あの銃の銃床には〝一護〟と、約束の名前が刻まれている。
「〝いちご〟の造り方を秘密にしろって言ったのは先輩だ、先輩が破る筈ない」
「じゃあ何で先輩以外の字で、(最終工程)が存在しているんだ!」
そう、先輩しか知らないはずの最終工程が、ミスM・Yの字で書かれているのだ。先輩の字でこの手紙が書かれていたなら、おれもシキもコッペも、こんなに驚きはしない。先輩とおれ達だけの秘密の筈だったんだ。でも約束は破られた。ミスM・Yは知っている、〝いちご〟の造り方を。
〝いちご〟とは赤い果実のことでは勿論ない、造り出されるものの隠語である。それと、おれ達と先輩が誓った、約束の名でもある。
〝一護〟。護とは庇い囲い守る事、一とはただひとつという事。おれ達は'〝いちご〟を守るのである。庇い囲い守るのである。ただひとつ・・・守るのである。
〝いちご〟の造り方はおれ達だけの秘密、破られる筈のない、先輩との絆。
「ミスM・Yに教えたんだ! オレ達だけの秘密だったのに」
シキの憤りは先輩が約束を反故にした所から来ているが、そんなことに本気になって腹を立てているわけではない。おれと同じで、おれ達には守らせてくれなかった事に怒っている。狙われている事を知っていたなら、おれ達にも教えて欲しかった、守らせて欲しかった。・・・もし最終工程を残すしかなかったのなら、おれ達に直接話して欲しかった。それが絆だ、いや、その為の約束の〝一護〟でしょう? 一緒になって守るって・・・約束したんだから、頼って下さいよ先輩。何の為の、じゃあ何の為の約束だったんだ! おれ達だったんだ・・・。
「僕たちじゃなくて、ミスM・Yを頼った。そう言うこと?」
「ああ」
ドン!
シキが机を蹴って出て行こうとした。
「待てよ、何処行く気だ」
「学校、頭冷やしてくる」
震えているのは声と心、悔しいのか悲しいのか、おれにはその背中が泣いているように見えた。
「ダメだ、あいつ等が〝いちご〟を追っているなら、シローは無視しても、おれ達三人はなにをされるか分からない。学校は危ない、行くな」
「じゃあお前いは―――。一生両膝を抱いて泣きたいのか」
バタン! タンタンタン、ガラララララ、
バォオオン、ブオロロロロ、
けたたましく響いたと思ったエンジン音は、直ぐさま遠ざかって消えた。久し振りに会った気がするのに、何も変わっていない。なにも冷めていない・・・・・シキもおれと同じ、きっと止まっている。先輩が撃たれた日からなにも進む事が出来なくなってしまっている。だけど今、時計の針はおれ達に殺意を向けながら動き出した。カチコチ、カチコチ・・・。刻々と動き出した。おれ達も動き出さないと。両膝を抱いて泣くのはもう止めだ。行こう、おれの銃。おれの〝臨後〟よ、先輩の死に臨んだ後誓った思いよ! 征こう裁きに、あいつ等を裁きに。
「・・・・・」
「ガクセイ、話の続きなんだけど聴いて良い?」
黙ったままのおれに、コッペから口を開いた。
「ああ、なんでも訊いてくれ」
「君は、僕達を頼ってくれるよね?」
―――――。
唐突に、あっさりとした口調で、それは確認なのにまるで願い事の様に聴こえた。
「あ・・・・ああ、宜しく頼むよ」
先刻礼を言ったばかりだというのに、コッペはおれからしっかりと言質を取っていった。
「うん、じゃあシキさんが帰ってくる前に、また馬鹿にされない様、この先の計画とかを考えておこうか」
「・・・だな」
おれ一人のことではない、ないけど・・・果たして、こんな事件に巻き込まれた友に協力してくれる人間が、どれだけ居るだろうか。素直にうれしい。
「でも困ったね、逃げるにも戦うにも情報が無い、〝いちご〟が本当に狙われているのかも分からないし・・・そもそも僕らは〝いちご〟がなにか知らない、と・・・なると」
コッペはそう言葉を切って、目線をシキが机に叩き付けた最終工程に向けた。
「ミスM・Yに会いに行く・・・と?」
「先輩が最後に何か託そうとして、僕達よりも相応しいと判断した人だからね。無視できないと思うよ、小包に住所は?」
「ダメだ、デタラメだった」
一応おれも気になって、送られてきたその日に調べてみたのだ。結果住所はデタラメ、名前に至ってはMYだったし、よくこれで普通に届くなと、感心した。郵便局の皆さんご苦労様です。
「手詰まりだね」
「そうでもないぜ、少なくとも最終工程があれば〝いちご〟の正体は分かる」
「ちょ、ちょっと待ってよ、先輩がバラバラに教えたのは、造り出せないようにする為じゃないのかい? それに想像だけど、君が教わった原材料、簡単に手に入るモノじゃないだろ?」
う、するどい。確かにその通りだ。二、三種類面倒なものがある。
「ま、まあな、冗談だよ」
「そう・・・ならいいけど」
「・・・・・」
急にコッペが神妙な顔をし出した。コッペは頭の回るタイプの馬鹿だから、何か考え付いたのかも知れない、頭だけはいいんだよな、コッペって。
「チッ」
これはおれの心の舌打ちではなく、現実のコッペの舌打ちの音。
「〝いちご〟が狙われているとしたら、僕らはまんまと策にはまった訳か・・・」
「何?」
聞き返すとコッペは立ち上がりながら答えた。
「つまりさ、先刻君が言った通り、今なら造れちゃうんだよ、〝いちご〟が。全員揃って、今シキさんは出てるけど、失われた(最終工程)が出てきて、条件は揃った。ここで一網打尽にされたら・・・終わりだ」
「あ・・・」
気付いて思わず漏れた言葉が消えた瞬間。
ピンポーン、
背筋の凍る音が響いた。おれとコッペにはもう、一ミリの笑顔もなかった。同時にスタートを切ったおれとコッペの戦慄は、デットヒートを繰り広げながら一〇〇メートルを一〇秒台で駆け抜けた。
「きゃ、客だぞコッペ・・・」
「そ・・・そそうだね」
ビビりまくってないでお前行けよ、お前の家だろォォォォ。と、おれが心の中で絶叫していると言うことは、コッペもコンドーとイナミの顔知ってるの君だろ、君が行けよォォォォ、と思っているんだろうな。
ピンポーン、
二度目のチャイムにビクリと体が強ばる。笑っていられる状況ではない、コッペの言ったことは正しい、その通りだ。
「ガクセイ、一応コレ」
コッペは部屋の隅から鉄刀を取って寄越した。
「完成してたのか」
「大小しかないけどね」
二つ折りにされた鉄刀〝大〟をコッペはズボンの後ろに突っ込んで隠し持った。おれもそれにならって、鉄刀〝小〟を隠し持った。コッペは銃を好まない、その結果が木刀ならぬ鉄刀を生んだ。刃のない折りたたみ式の模造刀だ。少々重いが使い勝手はいい。
ガタ、タンタンタン、
足を忍ばせながら一階の工場に降り、玄関へ向かった。二人して扉に写った影を凝視する事約二秒、それで結論が出た。
「シローじゃねェか」
なんだ・・・良かった。つい気の抜けた声を出してしまう。
ガララララ、
コッペが扉を開けてその顔が目に入ると、更に肩の力が抜けた。お前も無事なんだな。
「アレ? 賀来先輩? ここに居たんですか」
「まぁな、お前はコッペに用か?」
おれがいる事にちょっと驚いたシローは、コッペの方に目をやっていた。
「あ、はい、そうなんです。あの、コッペパン先輩」
最早聞き慣れたとはいえ、仮にも先輩をパン呼ばわりするのは如何なものだろう。中学二年生くらいの身長だけど先輩なんだよ? 短髪でよく野球部に間違えられるけど、生産技術部の実は部長なんだよ? 憶えてる?
「市松先輩のご葬儀に出られたのって、志貴先輩とコッペパン先輩でしたよね?」
おれはまだベットの上で寝ていたから出られなかった。シキとコッペだけだった筈だ。シローは当時一年生で、オリエンテーション合宿中だったから、先輩の死さえ知らなかったんだっけ。
「そうだけど・・・玄関で立ち話も何だから、どうぞ」
「いえ、すぐ行かないといけない所があるので・・・それで、あの・・・先輩は、本当に死んでしまったのでしょうか?」
「?」
「もしかしたら、眠っていただけとか、そんな事ないですかね」
「どうして?」
コッペは訳が分からないと言った様子で訊き返した。何だろう、シローがおかしいのか? おれ達がおかしいのか? まぁ確かに、少しアレだけどさ・・・。
「だから、顔色とか呼吸とか・・・出棺前に顔見ましたよね?」
さすがにその言葉は聞き流せなかった。
「シロー、先輩はもう生きちゃいない。何だってんだ一体」
「でも・・・」
「でも? ・・・結論は出てる。お前だけが悲しんでるなんて思うなよ。おれ達だって精一杯で受け止めたんだ。それを後からグチャグチャ言うな」
強く言ってしまった。少し後悔。
「すいません・・・」
シローがあやまる。
言うつもりはなかった。口から出てしまったのは、おれにも似た心があったからなんだと思う。終わった筈の事件はまだ終わっていなかった、それが先輩を急に生き生きとさせている。現場を見たおれや、葬式に出たコッペ、シキと違って、先輩の死を何一つとして見ていないシローが、いらぬ幻想を抱いても仕方のない事なのかも知れない。シローは悪くない、生きていて欲しかったのはおれも同じだ。
「分かってくれたら良い、ちょっと強く言った、すまん」
「いえ、賀来先輩の悲しみを考えなかった自分が悪いです」
チラリとシローの目線がおれの盲た右目に向けられた。この闇は悲しみに訪れた。視力と呼べるものはなく、光すら見えない。完全なる黒がここに有る。心を病んだ所為だと医者に言われた。病の所為と言うなら病名は〝悲しみ〟だろうか。いや・・・そういえば何時だったか、誰かがもっと適当な事を言った。・・・絶望とか・・・そんな感じの。
「それではすいませんでした。失礼します」
頭を下げたシローに、このまま行かせてはいけない気がした。例えるならケンカ別れの後のような、このまま別れたら次話すタイミングがなくなってしまう様な、そんな感覚。今呼び止めないといけない。
「シロー」
扉が半分閉められた所で、ようやくおれの乾いた口から声が出た。でも直ぐには次の言葉が出ない。コッペやシキではないのだ・・・シローは巻き込めない。なんと言ったものか分からず、思いがけずシローの目を見てしまった。すると不思議と口が動いた。
「先輩の無実はおれが証明する。信じて、待っててくれ」
「・・・はい」
ガララ、ピシャ、
「・・・・・」
目線を下げながら振り向いて、コッペの顔を見た。案の定ニヤニヤ笑っていた。アンパ●マンに似てる。
「格好付けなくても格好いいよガクセイは」
「・・・るせぇよ」
確かに今の台詞はクサかったと思う。
「で、話の続きだけど、どうする? 何時までもここに居るのは少し危険かもよ?」
「ああ」
今のシローには驚かされたが、あいつ等が来たらそれでは済まない。
ガタ、タンタン、
「どうしたの?」
階段を上る途中で立ち止まったおれに、コッペは急かすように訊いてきた。
「いや・・・少し思い出してさ。先輩が高一まで東京に住んでたって話、お前憶えてるか?」
「ああ~そういえばそうだった。引っ越しする前は東京にいたって話してた。じゃあミスM・Yは東京の?・・・」
「だとしたら話が合うんじゃないか、おれ達は愛知での先輩しか知らないし・・・そもそも先輩が何処で〝いちご〟の造り方を知ったか考えたら、東京しかない」
「(最終工程)を託せたのも、ミスM・Yが元から知ってたから・・・とか?」
「十分有り得る話だろ」
「そうだね」
「・・・・・」
「どうした?」
コッペが首を捻った。
「分からないんだけど、どうして僕達に先輩は〝いちご〟の造り方を教えてくれたんだろう、もし〝いちご〟が狙われているモノだと知っていたんだとしたら、僕達を危険にさらすことになるって分かってた筈でしょ?」
確かに、そうだな。
「それは私が答えてやろう、狙われ殺される事を予期して、技術を残したのだ、秋の世の為に」
「・・・おれ達を危険に巻き込んででも、残したかった技術か」
「そう言うことだ」
ん? ・・・ちょっと待て、おれ達の会話に割り込んだこの声誰だ?
目を見開いておれは振り返る。
バッ、
「よぉガーラァァイ」
「イッ・・・」
一語半句出たところで、肺が息を出すのを止めた。恐怖と驚きの所為である。
ガチャン、
裏口の扉を閉めイナミは不敵に笑う。足が、足が動かない。
「誰だ!」
コッペが大声を上げる。多分見当は付いているだろう。
「誰だ? おいおい仲良くなる気のない奴に名前を訊くな、小藤鉄平君」
「イナミ、お前イナミだな」
イナミの目がより深く、より冷ややかに険しくなる。
「お前に名乗った憶えはないんだがな、まぁその辺りも後でゆっくり訊くことにしよう」
「コンドー」
ガラガラガラガラガラ、
玄関からコンドーが現れた、挟まれた。
万事休す・・・いや、まだ諦めない、諦められない! 戦う!
ザッ、カシャン!
「後は任せて」
コッペがおれと背中合わせに階段から飛び降りてきた。おれはコンドーをコッペにまかせ、目線を戻した。
「抵抗は・・・いやもういい時間の無駄だ。コンドー、やれ」
チャキン、
何かが構えられる音が後ろからした。コッペが危ないっ。
バン! バヂジジジジィ、
急いで振り返ると、コンドーの手元からコードが伸び、それが放電音を発していた。もちろんコードのもう一方の端は、コッペの体に張り付いている。テイザー銃だ。
コッペ!
バチッ、
エ? ・・・コッペは何事も無い様にそのコードを体から引きはがした。あれ? 感電して行動不能になるんじゃないのか?
おれの疑問は直ぐコッペの口から語られた。
「悪いね、感電防止用の作業服なんだ。実家が溶接業なもんでさ」
よく見ればコードを引き剥がした手にも厚手の手袋がはめられていた。何て運の良い。
ブンッバチジジジジィ
コッペが投げ返した電極はコンドーに当たって、電気ショックを受けたコンドーは一撃で倒れた。
「・・・役立たずが」
シャキン!
コンドーが倒されたのを一瞥すると、イナミは更に顔を引きつらせ笑った。手には五〇cm程の伸縮式の警棒が握られている。木製じゃない、今までに何人も撲殺してきた様な、黒光りする鉄の塊だ。見ただけで重量感が伝わってくる。あんなものの一撃を喰らったら、骨が砕けてしまう。だが、退かない。
ジャリ、
足場を固め、踏み出す準備をした。もう逃げない、こいつ等を返り討ちにして裁く!
「・・・・・ゴクッ」
こ・・・恐ぇ・・・、イナミの目の動き一つ、呼吸一つにすら体が震えた。体が強ばって動かなくなってゆく。息が乱れ、汗が頬を伝う。逃げるのは・・・簡単なのに、もう逃げ出す勇気すら、目線を離す勇気すら、無くしてしまった。
「後は任せてって言ったでしょ、行ってガクセイ・・・ここは僕が相手をする」
コッペが体を回して、おれとイナミの間に割り込んだ。
「だめだ、もうおれは逃げない、戦う!」
正直、コッペが体を回して、おれの前に入り込んでくれたのにはホッとした。やっと目線を外す事が出来た。だが・・・ここで逃げる気はない!
「戦う相手が違う! 僕達を狙っているのはこいつじゃない、こいつ〝等〟だ。先輩は陰謀に倒されたんだ。全てを解き明かし陰謀を討つ、それが出来るのは君だけだ。行って東京に、始まりの、あの場所に」
ドクン、
心を突かれた。おれより臆病なコッペにこんな事を言われるとは思わなかった。どうやらおれは勘違いをしていたらしい。戦う相手も、親友の魂の強さも。
「後は任せた!」
「任された!」
ダッタタタタタタッ、
コンドーを跳び越え、おれは屋外へ駆けだした。コッペよ・・・どうか無事で。
ブワッ、
一足飛びにイナミの警棒が迫ってきた。
ガキィン!
「やってくれたな、小藤」
「おいおい、仲良くなる気のない奴の名前を呼ぶな。僕は、お前の敵だぞ!」
・
おれは走っていた。走り続けていた。どうする、どう出来る? そうだシキ、シキに伝えないと。
息を整える事もしないで携帯電話でシキを呼び出す。頼むから運転中ではないでくれ、早く・・・早くっ。三回目のコールで繋がった。
「シキっ・・・シキ・・・ああ良かった。繋がった」
「どしたん? 息切らして」
「来たんだ、あいつ等が!」
「・・・落ち着け、声量落とせ、あいつ等ってイナミが来たのか?」
「そうだ」
「今は大丈夫なんだな?」
「あ、ああ大丈夫だ。シキいま何処に居る?」
「学校の近くのコンビニ。ブラックサ●ダーのストックが切れたから買ってた」
「よかった、」
「お前いにはやらんぞ」
「いらねェよ! そうじゃなくて、・・・と、とにかくそっちに合流してから詳しく話すから、そこ動かないでくれ」
「了ー解」
学校近くのコンビニなら十分で行ける、急ごう。左右を確認して、おれはまた走り出した。
ダッタタタタッ、
イナミ・・イナミ! ・・・イナミ! 何で来られた。この短時間に、クソッ・・クソックソッ。
体中が怒りの矛先を見失って、ただ熱くなってゆく。
カチャヤ、
コッペにもらった鉄刀(小)に触れた。鉄の冷たさを握りしめ、心の中でコッペに頭を下げた。
「・・・ぐっ・・」
目から涙が零れて落ちた。
「シキ!」
頬についた涙が乾いた頃、ようやくシキと合流することが出来た。
「・・・コッペはどうした?」
訝しげにシキの目は、おれを下から上へ流し見た。
「残った。おれを逃がすために」
ガバッ、
予想していた反応が起こった。胸倉を掴まれ睨まれる。
「見捨てたのか!」
「違う!」
「戦うと言ったのに逃げてきたんだろうが」
「違う! 解ったんだ始まりが、戦う相手が」
おれの目の中を覗いたシキは、おれの意志を感じたらしく手を緩めてくれた。
「車に乗れ、非常線が張られるかも知れない、早々に県外へ出る・・・その口調だと、行くんだろ東京に、連れて行ってやる」
おれとコッペが二人がかりで出した結論を、シキは当然の様に口にした。
「・・・ありがと」
「ボーっと突っ立つな。イナミとコンドーは黒幕の手足だ。オレは手足に捕まる前に頭を討つ! 先輩の敵を撃って、全ての思惑を根絶やしにする。そしたらお前いが手足を裁け! この事件の終結はもうそれしかない。その為に、コッペはお前いを行かせたんだ」
シキはこの一瞬でおれどころかコッペの思いも受け取っていた。そうして拳をこちらに突き出してきた。〝これからはオレが相棒だ〟その拳におれも応えた。
「行くぞ」
「応」
ゴツンッ、
拳を合わせるとお互いすぐさま車に乗り込んだ。
ブロロロロロ、
「ガッ・・・」
グウィン!
真横への遠心力を強く感じたと思えば、急加速の衝撃が首と背中を襲った。シキの愛車はオープンカーなので、エンジン音がダイレクトに耳に届く。多少でない運転の粗さだが、まぁ任せておけば大丈夫・・・かな?
「それで? 状況を詳しく話せ」
「あ、ああ・・・」
なぜコイツはこんな運転をしながら平然としているんだ?
「シローが来てさ・・・」
一通り説明をする。
「ちょっと待て、・・・だいたい分ったけど、お前い(最終工程)はどうした?」
「あ」
目をパチクリさせた後、全力で謝罪した。取るもの取らずに逃げてきたから、荷物ごと置いてきていたのだ・・・。
「いや・・・ちょっと待ってくれ確か・・・あ、あった」
12mmの〝市〟と刻まれた弾丸をポケットから取り出した。これだけはお守りみたいに、肌身離さず持ち歩いていたから無事だった。良かった。
「Jesus Christ。それがあったって仕方ない、この天上天下唯我独馬鹿」
聴いたことの無い言葉で罵倒されたが、反論の余地はない、一〇〇%おれが悪いのだから。
「まぁいい、どうせ(最終工程)だけじゃ役に立たないし」
「ん? それはどういう訳で?」
「お前い内容見てないのか?」
「全然」
正直興味はあったけど、それ以上にちょっと恐くて見る決心が付かなかった。三人で集まったときに一緒に見ようかと思っていた。
「どうせビビッたんだろ」
「うっ」
さすが鋭い七〇点。
「オレ達と一緒に見る気だったんだろうけど・・・じゃあ中身を見たのはオレだけか」
あ、一〇〇点。
「内容がどうかしたのか?」
「暗号文だった」
「よくあんな短い間に分かったな」
「ニャハハハハ、なぜなら解読法はオレが持っているから」
見せられた紙片に違和感。
「これ・・・先輩がコッペにあてた手紙じゃねェの?」
「そやよ」
「なんでシキが持ってんの?」
「スッたから」
「・・・・・」
まず法の裁きを受けるのは、イナミではなくてこいつなんじゃないだろうか。
「お前いには現物、オレには敵の情報で、(最終工程)が暗号文ならコッペに解読法が届いていると思って当然だろ」
うん、だからスッたのね。動機の自白が取れました。
「褒め称えた方が良いのか?」
「むしろ愛でよ」
「・・・・・」
そういやこいつこういう性格だったな。
「コレがない限り(最終工程)はただの紙切れ、あいつ等きっと怒り狂ってる筈だ」
・(イナミサイド)
ピッピッ、ガチャ、
「室長ですか?」
「イナミか・・・首尾は?」
「途中まではうまく行きました。ただ思わぬ反撃に合いまして、賀来誠を取り逃がしました」
「そうか、例のモノは?」
「手に入れました。それと賀来の銃も。ただ暗号になってまして、解読は困難です。拘束した小藤が言うには、解読コードの書かれた市松の手紙は加賀にスられたと」
「今日中にカタは付きそうか?」
「いつもならそうでしょうが、あの市松の弟子達ですから過信は出来ません。それにもう一つ気になることが」
「何だ」
「手紙の差出人がM・Yです・・」
「秋桜か?」
「恐らく」
「分かった、秋桜の残党が絡んで来る前に賀来誠と解読法を確保しろ、手段は問わん」
「はっ、了解しました。失礼します」
ピッ、
「・・・・・」
「コンドー、小藤を連れて東京に戻るぞ、賀来達が市松の足跡を辿って、秋桜と接触する前に捕まえる」
コクッコクッ、
「しっかり働け」
コクッコクッ、
・(ガクセイサイド)
ブロロロロロロォォ、ガクゥン、
「痛っ」
シキのブレーキングは手加減がない。
「着いたぞ、降りろ」
着いたって・・・ここPAだぞ・・・ケツが、お前のケツは何製だ。ハイテン鋼か? 剛性高過ぎだろ。なんであんな運転で朝より元気になってるんだ。
「ここどこだ?」
「五日後の東京復興チャリティーライブの機材置き場兼PA」
逆だ。
「シキも出るやつ?」
「そ、ここのトラックが今日東京に行くから、乗せてってもらう、オレの車は目立つし高いから」
何だ、自慢か? 何ならこの12mm弾頭で一本傷を・・・。
ガッ!
「痛っ」
思いっきり足を踏まれた。心の中バレた?
「顔隠せ逃亡犯」
「そうだな、ありがと・・・でも痛いんだけど」
「オレの踵だって痛い」
嘘だーーーーーーーーー。
心の中でしか絶叫出来ない自分に、更に心が痛みました。
誰かが使っていたと思われる作業帽を拝借して顔を隠す。先を行くシキのピンク髪を眺めていると、急にパタパタと歩調を変え走り出した。話はあっちで付けてくれるだろうから、おれは待っていよう。名前は忘れたが、シキの加入しているバンドは、それなりに人気のあるバンドらしい、チャリティーライブに参加出来るくらいには。こんな事件がなければ、おれも五日後にライブを見に東京へ行っていたろうな。知らない世界へ進んでいる仲間を見ると言うのも、少し寂しいけど大いに刺激になる。
「ガクセイ! すぐに出るんだって、乗ろう」
猫の被り方がひどい。その後トラックの荷台内に二人きりになると、案の定元に戻りました。あーあー。
クチャ、クチャ、クチャ、
この音はシキが十時のおやつにブラックサ●ダーを食べている音、今だに音を立てて物を食べる癖が直ってないらしい。注意すると短気で真っ直ぐな銃口がこちらを向くので、当然おれは何も言わない。
トラック内には鉄の骨組みと段ボールが積まれている位で、半分は空なので結構空きがある。しかし騒音が気になる。後、暗くて寒い。
「シキ、東京行くのはいいんだけど、そこからどうしたら良いのかね?」
「ケイビ隊の本部にカチコミをかける」
こいつのやられたらやり返す性格は、多分一生直らないんだろうなぁ。
「本部って何処?」
「ん、ああ。まだ聴いてない、FPSに電話しないと」
シキは携帯でFPSにコールした。
ピピピ、
「もしもし」
「おはよう、シキさん・・ハァ、ハァ」
ブッ!!
「・・・・・」
相変わらず全力で変態してるなFPS。電話を叩き切ったシキの顔がドン引きしてる。
「ちょっと・・・変態の星の電波と混線したみたい・・・」
いや、あの第一声は間違いなくFPSだったぞ、認めたくないのも分かるけど。
プルルルルルル、プルルルルルッ、
折り返しのコールがシキの手の中で鳴り出した。
「お、お前い出ろ、耳が穢れる」
安心しろ、お前の心は既に真っ黒だ、魔王よ。
ピッ、
「もしもし」
「ん? もしかしてガクセイ?」
「おお」
「ハッハッハッ、命狙われてるらしいなおめぇ、逃亡犯乙!」
イラッとした・・・。
「で、シキさんは?」
「お前と話すと穢れるってさ」
「エー何だよ、話そーぜー」
好きに話せ、鏡と。
「そっちの用は後にしろ、お前ケイビ隊とか言う奴等の本部の場所知ってるか?」
「知ってるぜ、つかメール届いてないか? 送ったぜ」
「え? 分かった、ありがと。・・・今更だけど何でそんなこと知ってるんだ?」
「ミリタリーマニアの間で結構有名な話なんだぜケイビ隊って。まぁ一種の都市伝説だな。話そうか?」
話したそうに訊かれた。
「頼むよ」
「始まりは一九五〇年、戦後の警察力の補充の為、GHQが武装集団を創った、その名を警察予備隊と言う。折しも公職追放の解除が始まり、旧日本軍将兵が公職に採用出来るようになった。この組織は一九五二年に一度保安隊に改編し、そして一九五四年に自衛隊と名を改める。自衛隊が―――言葉通り自衛の為の最低限の武力ってのは今更説明いらないよな?」
・・・銃を握った事もない民間政治家の許可がなければ、専守防衛さえままならぬのに最低限ね・・・。
「元々自衛隊はGHQが創ったものだ。その理念たる憲法9条はマッカーサーと幣原喜重郎のもの・・・時は一九五〇年代、冷戦により世界が二分し、朝鮮半島ではその代理戦争が勃発、〝戦争出来ないから、攻めてこないで下さい〟なんてのが、まかり通る時代じゃあなかった」
それは今も変わりはしないと思うが・・・。
「だがダグラス・マッカーサーは日本軍の再編など許さなかった。後は解るだろ? 国土を守るのに認められた武力は制約が多すぎて役に立たない、ならばもう一つ別の、非正規部隊を創るしかない。そこで警察予備隊を改編したタイミングで、組織を二つに分けることにした。コインの表と裏の様なこの二つの組織はそれぞれ、自衛隊、警備隊と呼ばれ、共に日本を守る組織となった。一方は公式の部隊として、一方は国家暗部として」
「都市伝説だよな?」
「おめぇが狙われるまで、そうだったな」
「お、お前だって言ってたろ、マッカーサーが認めないって。そんな大編成バレないものかよ・・・第一誰がそんなこと実行出来るんだよ」
「GHQの占領時政府に顔が利いて、軍人に人望があり、ついでに世界情勢に通じるマッカーサーを恐れない人物、そんな方は一人しかいない、ヒロヒトだよガクセイ、ヒロヒトさ」
「な・・・おい、呼び捨てにすんなよ」
「じゃあ、正しく言い直そう、昭和天皇さ、ガクセイ」
止まった息を吐き出し、口から息を吸って、また鼻から吐き出した。よく理解した。
「続けてくれ」
「細かく歴史を話せば後二転三転すんだけど。まぁいい、今のこの組織の実態を話してやる」
「この組織の特徴は、国家に属していながらその人事権や資金源が国家に無いことがいえる。理由はコロコロ代わる国政から、その体制を守る為と言われている。主な資金源はOCC紀連で、普段はそこで隊員達は働いてるって噂だ。信憑性薄いけど」
あのイナミがOCC紀連で働いてる? ・・・想像できない。
「概要はいいから、中身を話してくれ」
「焦んなって、じゃあ話してやるか。おめぇを追ってるのは情報室と呼ばれる部署だ。室長麾下一課から六課まであるらしい、イナミとコンドーは多分一課の人間だ。六課中最も戦闘的で最も重要な任務につく、ついでにいえば最も少数らしいぜ、よかったな」
なにが?
「イナミの事分かるか?」
「個人の特定すら不可能だ。社会的に〝イナミ〟という人物は存在しない、私生活じゃあ別の名前使ってるに決まってる」
偽名か・・・そうだな。あいつ等なら十分あり得る。
「そうか、いろいろ分かった。ありがと・・・FPS、最後に一つ訊きたいんだけどさ」
「いいぜ、なんだよ」
「おれがケイビ隊を裁くと言ったら、お前は協力してくれるか?」
「大丈夫だ、問題ない。オレとガクセイの仲じゃないか」
電話の向こうで、眼鏡の長髪が歯を出して笑っている姿が浮かんだ。そんなに仲よかったかなと、勝手に思う。だって電気技術部と兼任してる奴だし・・・まぁ、多分大丈夫だろう。
「じゃ、もういいなら電話切るぜ、後メール見ろよ」
「ああ、またな」
ピッ、
「どうだった?」
「メールで送ってるって」
勝手に人のメール受信欄を見るのも気が引けるので、シキに携帯を返すと、すぐシキは教えてくれた。これで行く先が決まった。戦場がみえた! 敵の正体は国の亡霊、ケイビ隊。かつて正義として産まれた筈の組織が、一体何故先輩を死に至らしめたのか、すべて暴いてやる。
決意のもとおれは目を閉じた。東京に着くまで後数時間、最後の休息だ。
第二章 それぞれ
ガタン!
ひどい揺れに意識が戻ってきた。アレ? 先輩が居る・・・ああ夢か・・・きっとまだ夢だなこれは。
トラックの薄暗い荷台の中で、先輩の笑顔が仄かな光を放っていた。その直ぐ近くにシキが頭をもたげ静止している。ああ、絶対夢だ。本物ならシキがきっと抱きついているから。
「先輩・・・」
かすれた声が出た。
「先輩の敵、見つけましたよ」
「敵やないよ? 知ったことない過去やよって、ウチ達が目ぇ向けんかったら、誰が見るん? 誰が受け取るん、あの時代と、あの時代が産み落としたものを」
「確かにアレ等は過去の残党や、ウチ達が生まれる前の時間から来た。でもな、ウチ達技術者は過去の悪意(影)も善意(光)も平等に受け取らなあかんのや」
なんの話ですか、そう口に出そうとして止めた。コレは夢だ。おれの知っている先輩の言葉を、てんでバラバラに言っている、それだけなんだ。静かで、かすれた声で、いつも話してくれた言葉の繰り返しだった。柔らかい目だ・・・あなたの所為で今、大変なんスよおれ達。分かってます?
「明日を見るばかりは阿呆よ、過去が残したものを大切にして」
「先輩はおれ達に、一体何を遺したんですか?」
「悪魔・・・世界を滅ぼす、悪魔」
「なんでそんなモノ遺すんですか、なんでそんなもの先輩は大切にしたんですか」
「・・・・・」
おれの夢の中の先輩に、答えられる訳がなかった。ただ目を閉じて、開いて、影の形を揺らめかすばかり。
「ウチ・・・東京で化け物に出会ったんよ」
なんの脈絡もない言葉、どうやらおれの夢の中の先輩は、相当に混乱してしまっているらしい。
「ガクセイ・・・良い渾名やろ」
おれの記憶にある言葉を、この幻影は勝手に口にしている。
「そっか・・・先輩・・・あなたは死んだんだ。新しい言葉を・・・あなたは話せない」
「ごめんね」
「なんで、・・・謝っちゃうんですか、夢の中でくらい、いつもの先輩でいて下さいよ」
スッと先輩の目が細まった気がした。
「もう・・・諦めてますよ、死んじゃったんですよ、あなたは」
自分に言っているのか、先輩に言ったのか・・・分からなかった。夢に見るくらい思ってみても、一年分回った時計の針は一目盛りも戻らない。あの春の日に、おれはもう立てない。卒業も銃撃もどちらもおれには止められなかった。先輩はおれを呼ばなかった。おれの前から・・・ただ。
「・・・去って行ったんだ」
「・・・・・さいなら」
「待って! ・・・下さい」
そう言っても、先輩は少しづつ消えて行ってしまう。
「先輩! ・・・」
今どんな顔をしているだろう、きっと情けない顔で、縋るみたいに先輩を見ていると思う。
「・・・ッ」
息がギュッと詰まる。
先輩は、現れた時と同じ仄かな光と共に笑った。何も言えなくなってしまったおれに、先輩は消えるその瞬間まで笑顔をくれた。それがたまらなく嬉しくて、残酷だった。脳裏に卒業式を終えた先輩の姿がよぎる。綺麗で可愛くて幸せそうで、おれの一生分の幸運を集めたみたいに光り輝いていた。
「何が悪くて・・・あなたみたいな人が死ななきゃいけなかったんだ」
小さなおれの声は、結局ひとりでに消えた。
ガタンッ!
「ハッ・・・」
大きな振動に目が覚めた。・・・やっぱり夢だったのか・・・。少しの間眠っていたらしい。
「シキ」
「ん?」
「おれ今、何か言わなかったか?」
携帯を操作しているシキには、出来れば少しも知られたくない夢の内容だったから、つい寝言を言っていないか心配になった。
「何も、変な事は言ってなかった」
何か言ったらしい・・・恐くて、その変ではない寝言の内容は訊けなかった。
「どんな夢だった?」
嘘をつこうか迷って、結局やめた。
「先輩の夢だった」
シキはおれが見たものを捜す様に、おれの目の中をジッと見つめた。
「東京で化物に出会った、過去を大切にしろ・・・いつも通りの事を言う、いつも通りの先輩だったよ。いつも通り・・・。まるで今の状況の為の言葉だよな、先輩は一体いつから、自分が狙われてるって知ってたんだろうな」
「それはミスM・Yが知ってる」
シキの解答は多分正しい。そして悲しい。おれ達はなにも知らないんだ、先輩のことを。
「ミスM・Yはどんな人だと思う?」
「会えば分かる。敵じゃあなければ今はどうでもいい」
違いなかった。
「でも、会ってみたいな。居場所が分からないけど。シキは一番先輩とプライベートで一緒だったんだから、何か知らないのか?」
「東京の話題なんて出ない、それに女に過去を訊くものじゃないだろ」
リボルバーを持ち歩いてピンクのウィッグとか被ってる奴が女を語るとか、引くよなー。とか言ったら、コンクリート抱かされて三河湾に沈められるので黙っとこう。
「あっでも、〝いちご〟の名前の由来を教えてもらった。詳しくは言えないけど、ある行程を経て完成する形が、本物のイチゴに似てるらしい」
「へぇ」
「正確に言うと、雫の底辺が平面に当たって広がった形なんだと」
シキは簡単な絵を見せて、それをひっくり返して〝見えるだろ?〟と訊いてきた。
「そうかぁ?」
言われて見ればなんとなく、そう見えなくもないかな?
「で、これ何なの」
「オレが知るか、原料知ってるのはお前いだろ」
「そりゃそうだけど、コレそんなに大きくないよな」
「大きくても本物のイチゴくらいって言ってた」
「・・・おれには国家暗部が捜すようなもんには見えねぇな。シキ、見えるか?」
「原料次第だ、小さくても価値のある物は沢山ある」
「S66●とか?」
「そうだ」
唐突に車の話を言ったのにシキはブレませんでした。
・(コッペサイド)
ガタガタガタタ、ブルルルルル、キィ、
「到着し・・・し・・・まし、た」
コンドーの滑舌は酷く悪かった。
「降りろ」
「・・・」
イナミの眼光はかなり鋭かった。ガクセイを逃がした所までは良かったんだけど、イナミの警棒の前に手も足も出ず、左手首に一撃食らって早々に敗北した僕は、イナミとコンドーに連行されていた。
「コンドー連れて来い」
コクン、
頷くコンドーのハゲ頭に連れられて、ビルの中へ入る。車を何時間も走らせて辿り着いたのは東京の何処か、ケイビ隊の・・・本部だろうか・・・。
どうなるんだろう僕。(分量)の秘密は守らないと。
エレベーターに乗せられ上層へ行く、階表示は二〇、止まった階は一五。まいったな、逃げ出すどころか興味が湧いてきてしまう。何があるのか、何が居るのか。
ガチャ、
目の前の扉がイナミの手で開かれた。ここは間違いなく東京だ。知り合いなんて居ない、その筈なのにそこに見知った顔があった。
「・・・シロー?」
チラリとこちらを見ただけで、シローは何も言わず座ったままだった。ここは会議室なのだろうか、広い室内に円形に机が組まれ、一面の窓ガラスからは真昼の日差しが注ぐ。椅子の数が・・・二〇はある、ずいぶんと広い所に連れてこられたもんだ。シローも捕まってしまったんだなきっと。一人じゃない事に少し安心した。
中に入ると、シローとは離れた位置に座らさせられた。
カチッ、
机から伸びたマイクの一つに、イナミは顔を寄せ、スイッチを入れた。
「室長、聞こえますか?」
「聞こえている。早かったな、もう着いたか」
しゃがれた声が応答した。この感じはイナミの上司かな? となるとこの声の主が黒幕、何処に居るんだろう。
「小藤と(最終工程)をお届けに来ました」
「他は?」
怒っている風に聞こえるけど、きっと地声だ。
「賀来、加賀の両名は既に東京へ向かって来ていますので、今日中にカタは着くかと」
なんだって!
「分かった、OCC紀連と秋桜はまだ動き出していないが、それも時間の問題だ。早急にな」
「了解、朗報をお待ち下さい」
OCC? 秋桜? ダメだ何の事だかさっぱり分からない。
イナミがマイクから手を離すと、スイッチの切れる音がした。
「コンドーどうだ、見つけたか?」
端末を見ていたコンドーはフルフルと首を振った。シキさんの車を検索しているらしい、でも先刻から発見出来なくなった様だ。
「・・・・・」
ふと、違和感を感じた。シローはいつ、誰に捕まったんだ? 他の隊員がいたとは考えにくい、家の外にイナミとコンドー以外の隊員は居なかった筈だ。ガクセイは素通りしているんだから。
僕より先にここに居たと言う事実からは、僕より先かほぼ同時に捕まった事が想像出来る。おかしいだろ・・・。自分で自分の考えの矛盾を見る。おかしい、僕の家を訪ねたシローを捕まえられたのはイナミとコンドーだけだ、この二人以外なら、僕より先にこの場所に居る訳がない。シロー君は・・・。
ガチャンッ!
イナミとコンドーが扉から出て行き、見張りだろう黒服が二人入って来た。手錠はされているけど机に固定はされていない、移動は可能だ。でも見張りが二人も居ては、逃げ様としても・・・あまり良い結果になりそうにもない。てっきり尋問されるかと思ったけど、どうやら情報より先に情報源を揃えたいみたいだし、僕にはまだ時間があるらしい。ならこの時間、有効に使わないと。
「シロー」
目線を向けても反応が無いので、仕方なく口を開いた。
「・・・何ですか」
意外な顔だと思った。不安そうでもなく、寧ろ落ち着いて僕の事を見通していた。
「なぜ君がここに?」
「それはこっちが訊きたいですよ。賀来先輩はどうしました?」
「僕が逃がした、あいつは全てを裁くまでは止まらないよ」
「・・・そうでしたか」
立ち上がったシローの手は自由だった。チャラリと自分の手首を見て、シローを見る。手錠の跡すらない。これはもう確定だな。裏切り・・・か。武士道に背く事なかれ。この僕の信念は、今君を許せないよ、シロー。
「もう一度訊くけど、何故君がここに?」
「先輩達の敵になったからです」
〝もう気付いてるでしょう?〟と、その目は笑っていなかった。
「いつから?」
「一年前からですよ、いつかの日からこの日まで、こんな日和を夢見て来ました」
「そう、そうかい。武士の情けだ、理由くらいは訊いてやるよ、なぜだシロー」
「訊いてやるよ? 何ですかそれは? まだ先輩と後輩のつもりですか、あなたはもう敗者なんです、この戦争の」
戦争? 今シローは戦争と言った? ・・・成る程そうなのかも知れない。なら尚更に・・・。
「シロー、この事件を戦争と呼ぶなら、僕達は負けない、僕達にはガクセイがいる」
「なら時間の問題ですね。今日中に賀来先輩は捕まります。そしたら、後はあいつ等が〝いちご〟の秘密を暴いてくれる」
「それが僕達を裏切った理由なのか? 君がそんな事を知ってどうする」
「どうもしませんよ。でも、この戦争は終わる。そしたらイナミとコンドーが〝板東・ジャクソン事件〟の真犯人に名乗り出るって約束してくれました。先輩の汚名を晴らすって、約束してくれました」
「なっ・・・その為に僕達を売ったのか。あいつ等がそんな約束守るとでも、本気で思ってるのか⁉」
「思ってませんよ! ・・・でも、でもねェ、こうでもしなきゃあ蚊帳の外でしょう! なんにも出来なくて、なんにも知れなくて・・・全部終わってしまう! 知らない内に失って、その理由すら過去の彼方だ! コッペパン先輩に解りますか、俺の気持ちが!」
シローは怒っていた。内に秘めた激情は、矛先すら定まらない程に強く震えて、一種の自暴自棄にも似た行動を取らせている。こんなにおかしくなってしまうくらいに、シローは先輩を思っていたんだ・・・。蚊帳の外という言葉には、シローの積年の後悔と、多分ガクセイへの恨みが込められている。それだけじゃない。〝いちご〟の存在を知ったのなら、シローは全てにおいて自分が疎外されていた事に気付いた筈だ。今シローを突き動かしているものの名は〝渇望〟。理由を求め、真実を求め、仇敵を求め・・・約束を求め、秘密を求め、先輩を求める。
しかし気付いている。何一つ手に入らない事を。
知っている、求め方を間違えている事を。でも止まらない、この戦争を見ていたいから、関わっていたいから。
「先刻裏切りって仰いましたけど、これは裏切りではありませんよ。先輩達が仲間はずれにするから、あいつ等の仲間になった・・・それだけの事です」
そうだ・・・その通りだ。僕達は君を仲間に入れようとはしなかった。真実を知りたくて、あいつ等を裁きたい君は・・・あいつ等に協力するしかなかった。少なからず、先輩の死を傍観したガクセイを恨む気持ちもあっただろう、きっとそれがシローの方から僕達の仲間になる事を邪魔した筈だ。
「そうまでして、君は知りたいのか? 〝いちご〟や先輩が撃たれた理由を。今からでも良い、君は手を引け。君にあいつ等は裁けない」
「もう遅いですよ、見えますか?」
そう言ってシローは左腕を見せた。そこには黒い点があった。すぐ銃弾の跡だと気が付いた。
「コンドーにデリンジャーで撃たれましてね。どうもその銃弾は発信器付きの特殊弾頭らしくて・・・逃げられんのですよ」
そうか、それで捕まって、君は協力を持ちかけられた。ガクセイを恨み、真実を知りたくて、あいつ等を裁きたい君に、断る選択肢はなかった。もっとも断ったら用済みって事で、どうされたか分かりゃしない、シローの選択は正しかったと言える。
「逃げらんないから覚悟を決めました。どんなことをしてでも、先輩の遺したものを知ろうって、そうすれば、市松先輩の一番近くに行けるでしょう。それは、先輩達敗者の側では知れないことだから・・・勝者側に居るんです」
何の事はない、ただ僕達とケイビ隊、どちらが真実に近いかをシローは冷酷に見定めただけだ。
「そう、ようく分かった。君は今まで何を見て来た? ガクセイをナメるなよ、あいつは裁くぞ、それが出来るこの世でただ一人の男だ。僕は信じた。シキさんもだ・・・」
ガチャ、
知らず体に力が入っていた。手錠に止められて、手は動かなかったが、僕は立ち上がりシローを見返して強く口を開いた。
「仲間に入れなかった事は謝る。〝御免〟。けど信じろ! 君がどちらに居てもあいつは裁いてしまう。だからその前に・・・」
「それは先輩の勝手な妄想ですよ・・・工業高校生が国家に立てついて、勝てる訳ないじゃないですか」
僕を避けながらシローは扉の前まで移動した。正論だと思う。僕がもしガクセイという人間を知らなかったら、きっとシローと同じ事を言っていた。でもあいつには、先輩からもらった弾丸がある。諦めを知らない、バカみたいに強い意思がある。
ガチャ、
シローは扉を開け、出て行こうとした。どうしよう、どうしたらシローに信じてもらえるだろう。
「シロー!」
背に声を掛けると、シローの動きが止まった。シローがあちらに協力するのは僕達の所為だ。それを責めることは出来ない。ガクセイを恨む気持ちに悪はない。シローは裁くに値しない、むしろ救ってやらねばならない。だがシローにとって僕達は信じるに値しない・・・なら、こう言うしかないじゃないか。
「僕達を信じられないならそれでもいい、でも、何があっても、先輩は信じろよ」
あの人はなにも悪い事はしていない、君を仲間外れにしたんじゃない、それだけは分かって欲しい。それだけ分かっていれば、僕達は君を助けられるから。
「信じてますよ。何だって誰だって信じられなくなるくらい!」
バタン!
扉を叩き付ける様に閉め、シローは出て行ってしまった。元々は明るい子なのに・・・なんて暗い声を出すんだ。
「ハァ」
理解した、とは思う。でもここに、それ以上はない。結局は僕は敗者で、理解以上の何事も出来ない。だが僕達は負けてない、そうだろガクセイ? リベンジする、しよう、待ってるよ。ここで謀略の全てを、僕が用意しているから。
・(ガクセイサイド)
「ノーリンコT54偽中国製か―――」
片手で〝トカレヴァ〟・・・いや〝トカレフ〟のトリガーガードに指を差し込みながら、シキは愚痴っていた。安全装置のない銃を車内で振り回さないでほしい。
「次は・・・コルトウッズマン二二口径。スリムでいい。これは使えるぞガクセイ」
そりゃ良ーござんした。頼むから当然の様に空撃ちしないでくれ。
クッカチッ、
「銃はこれだけだな、後は・・・鍵が一つ? まぁいいや、大収穫、大収穫」
満足気に二丁と鍵を弄ぶシキ。
東京着後、カーレンタル屋で車を借りて、シキの運転でドライブ五分。シキが車を止めたのは、金融業のテナントが入ったビルだった。
「何をどうして〝それ〟持ってきたの?」
〝それ〟とは、銀の頑丈そうなアタッシュケースである。シキは車を止めて約三分後にビルから戻って来ると、〝それ〟をしたり顔で持っていた。
「教えて欲しいん?」
出来れば銃の入っていた理由とかは隠して欲しい。でもまぁ、知りたいかな。おれの身の安全の為に。
「あのビルにはヤクザ屋さんのフロント企業が入ってるんだ」
聴きたくなかった。おれの身の安全の為に。
「フロント企業だから、金利は違法じゃない、そんな場所だから、普段マル暴の摘発がないんだ」
マル暴? 警察の事か?
「ヤーさんが安全な場所に置くものは、だいたい相場が決まってる」
「脱税金とか真っ白い粉とか?」
「それと道具とかな」
なんでこいつがこんなにしたり顔なのかがよく分かった。
「ここはその一つ、多分抗争が起きた時に立ち寄り所にでもするんじゃないか?」
「そこから強奪して来たのか⁈」
「丸腰であいつ等に挑む程、オレは自力を過信してない。日本で銃を一日で手に入れるには、警察襲うかコレしかない、仕方なかろ」
トカレフの弾倉を確認して、シキは勢いよくそれを本体に差し込んだ。
ガチャン!
いつもの口調とは裏腹に、シキの目はどんどん鋭さを増して行く。
「ガスガンは脅しにしか使えない、実銃を持ってるあいつ等と互角に戦う為に必要な武力は、実銃しかない」
「でも強盗は・・・」
「犯罪だ・・・だからって躊躇う心で、あいつ等には勝てはしない」
ガチャ、シャキーーン!
背筋の痺れる音は、コルトのスライドストップをシキが外した音。機能全般と銃口、弾倉のチェックを二丁分終えたシキは、どこか先輩みたいに見えた。
「二丁共使える様だから、お前いどちらか選べ」
「銃刀法違反だろ・・・おれは嫌だ」
一瞬ムッと顔を変えたシキは、コルトをおれに差し出して迫ってきた。
「臨後を造っておいて何を今更、お前い憎くないのかあいつ等が!」
「憎いさ、でも銃を造ってもおれは悪意はもたねェ」
「それは何の意地だ、何の意味がある!」
合理的に感情的に、シキには全くおれが理解不能らしかった。
不幸な事なんだ。シキには分からない。
そいつは、どんな事に使っても、人を傷つけずにはいられない〝悪魔の手〟だ。おれは技術者だ。自分で考えて、自分で正しいと思った事をする。そいつは一方通行なんだぜシキ。
「おれは造る人間だ。だからそいつが何か良く知っている。その〝悪魔の手〟を握ったらおれはなにも造れなくなる。事、武器において、造る人間は使う人間になっちゃあいけないんだよ。もっと使いやすいモノを、造りたくなっちまうからな」
「そんなクソみたいな持論ここに持ち出すな! ビビってないで受け取れ、これは悪魔の手なんかじゃない。安全装置の付いた無機質なただの人殺しの機構だ」
ショッキングな言葉だった。シキは冷徹なまでに物事の本質を見極める。シキは銃の事を〝人殺しの機構〟と言った。言い切った・・・。自らがそれに求める能力を一言に集約した。同時にシキは今、血と硝煙以外の結末を否定した。銃声の後に何が残るか、お前は気付いているのか?
相手か、自分の命しか残らないんだぜ。
おれが銃を受け取らないと、シキは空いている方の手でおれの胸倉を掴んだ。
「お前いには覚悟ってものがないのか?」
「あるよ、でも裁く方の覚悟だけだ」
「甘いんだよそれじゃあ。やらなきゃやられるんだぞ」
「おれは技術者だ。ヒーローじゃないから何も壊す気はない」
「弱虫!」
返す言葉もない。銃は造れても、弾は造れなかった。それがおれの限界なんだ、自覚してるよ。
「ならオレだけで全員に応報しても文句はないな!」
「ないよ」
「ふん!」
ドサッ、
後部座席にアタッシュケースを投げると、シキは車を発進させた。目指すはケイビ隊本部、反撃であり最終決戦であり、因果相応の断罪を開始する。
第三章 バレットダンス
「シキ、なんでこの車にしたんだ?」
カーレンタル屋でシキが借りた車は、四人乗りなのに後部座席が尋常じゃないくらい狭い。
「ハイブリットで六速MTはこいつしかないんだ、仕方なかろ」
「シキはホ●ダ好きだな」
「自分の好きなものを造ってくれる会社が好きなだけだ」
パーキングエリアに置き去りにされた車も確か同じメーカーだった。こだわりでもあるんだろう、おれには理解不能だが。
一時間もしない内に、目的のビルにたどり着いた。夕刻は体に染みるようなオレンジの光でおれ達二人を照らす。片目のおれには、この光はどうも眩しい。
コッペは無事だろうか、シローも気になる、きっと無事だと信じるしかない、今は・・・。
「作戦を確認する」
シャキン!カタッ、
コルトの二二口径弾を薬室へ装填、次いで撃鉄を戻す作業を行ったシキは、携帯を開いた。話相手はFPS、おれ達には無理な面をフォローしてもらう。当然シキの携帯でも話すのはおれである。
「FPS、侵入経路は見つかったか?」
「見つかったぜ、隣のビルの屋上からケイビ隊本部ビルの非常階段へ跳び移れる。そこからエレベーターホールまで少し距離がある。誰にも見つからず辿り着くには少々の幸運が必要だな」
「障害物の事はお前いは気にしなくていい、経路だけ教えろ」
シキの一言だった。今、敵の事を障害物と言ったか? まさかこの日本に、ここまで危険な工業高校生がいるとはイナミも知るまい。
「エレベーターに乗ったら十五階を目指せ・・・ン? 今シキさんの声じゃなかったか?」
「幻聴だ。さっさと続けてくれ」
「お、おう。十五階はガクセイを追ってる一課が使ってる、ちなみに一〇階より下はOCC紀連の支部だから行かない方がいいぞ、公式の組織だから、何かしたら普通に告訴されるぜ」
「十五階には会議室と・・・中小部屋がある。どこかに〝板東・ジャクソン事件〟にケイビ隊が関わった証拠があるはずだから、それを見つけろ。時間は掛けんな」
「どこかって、肝心な所がダメじゃねェかよ。相手はいきなり拳銃抜く様な奴等だぞ、うろうろしてたら折り紙付きで死ぬわ!」
「基本は隠れろよ、道案内はしてやるから、大船に乗ったつもりで行け」
「行けって・・・せめて行って帰って来いって言えよ」
おれの愚痴が終わるか終わらないかの所で、シキに携帯を奪われた。
「FPS」
「何だい、シキさん・・・ハァ・・・ハァ・・」
「黒幕は何処に居る?」
「最上階の二〇階です」
「よし、オレはそこで室長って奴を見つける。脱出したら見つけた証拠にイナミとコンドーを捕まえて足せば、万事うまくいく」
シキの言葉は一つ抜けていると思った。重要な事は、口に出さないといけない気がしたから、おれは、〝それで先輩の汚名も晴れる〟と付け足した。
「イナミとコンドーはお前いを追っているから、放っといても現れる。これは前哨戦だってことを忘れるなよ」
「ああ、分かってる」
「じゃ、行くか」
「応」
ガチャ、バタン!
真向かいのコンビニに停めた車から降り、巨大な敵の牙城を見上げた。ここに真実がある。歪められてしまった現実を正す事の出来る真実がある。
この戦いがどうなろうと、きっとミスM・Yに会いに行こう。先輩の〝いちご〟を知り、受け取ろう。どんなものでもきっと、この戦いが終わった後なら、受け取れる筈だから。
タン、タン、タン、
足早に隣のビルの非常階段を上るシキに付いて行く。日が暮れて夜になれば、逃げるには有利でも捜し物には不利だ。全ては時間が鍵を握る。・・・出来ればシキには誰も傷つけて欲しくない、銃を握るのは彼女の強い意志なのだから、しかたないのだけど。
タッ、ビュオオオオォォオオォ、
屋上は地上とは違う風が吹いていて、少し寒い。
「!」
誰だろう、気付かなかった。屋上には先客が居た。存在感のない後ろ姿が空の片隅に立っていた。圧倒的な孤独を感じる背中だった。彼はおれ達に気付いているだろう。けれど視線は空中を見たまま動かない。問題なさそうなので無視して、ケイビ隊のビルの方へ向かった。
コッペにもらった鉄刀(小)に触れると、ヒンヤリと鉄の温度が伝わってきた。やっぱり鉄の冷たさは落ち着く。よし、足の裏の感覚がハッキリした。もう大丈夫だ。行こう。
「ふむ」
FPSの言う事にゃ、屋上から非常階段へ飛び移れとの事。
「お先にどーぞ」
シキへ譲る。目測で一.五メートルほどの幅がある。たいした距離じゃないけど、踏み外したら・・・。ビルの谷間のアスファルトが待っている。
着地点を見下ろして、飛ぶ算段をつける。階段の柵に気をつけな・・。
「ビビってないでさっさと行けっ」
ドン!
「ホゲッ」
背中に蹴りを喰らう。様子を窺っていただけなのに、海老反りになって足がコンクリートの屋上から離れた。・・・おれ、死んだかな・・・。
ドサン!
「痛って~」
落差は見た目以上にあったみたいで、なんとか足で着地したのに痛い。背負ったスポーツバッグがズシリとそちらも地味に重い。
スタンッ、タッ!
軽やかにシキが跳び移って来た。
「情けない、男だろ」
「蹴落とされなきゃキレイに着地してるよ、男でも」
コイツの頭には、おれを蹴落とした記憶が無いらしい。頭、大丈夫か・・・おれの事見えてる?
ガチッ、
ガチャガチャ、
尻餅ついたおれを無視して、シキは非常階段の扉に手を掛けた。内側から鍵が掛けられているらしく開かない。シキがドアノブから手を引いて、おれに首を振った。
分かってる、直ぐ突破してみせる。東京行きのトラックの中で、使えそうな機材を少々拝借してきた。
「開きそうか?」
「作る人間は壊し方も知ってる。壊せるなら開く」
ガン!
約一分で仕事を終えた。道具をスポーツバックに戻し、少し開けて中の様子を伺って扉を開けた。気付かれてはいない様だ。
「FPS、入ったぞ」
「OK,今何階だ?」
「多分六階、隣の最上階が六階でそこから移ったから」
チャッ、
おれの半歩先で耳をそば立ていたシキは、コルトウッズマンを抜いた。
「前に進むと通路が左に折れてる。そこにトイレがあるはずだから、とりあえずそこまで行け」
「分かった」
シキに頷くと、前進を始めた。それに付いて行く。ビルの中は恐ろしく静かで、ここが人気の無い隅の方である事が想像できた。一応・・・遠くの方で人の足音と思われる物音がしているから、人は居るらしい。
「トイレまで来たぞ」
「そこからは人が増えるから注意しろ、エレベーターホールまでは右折二回で行けるぜ」
「分かった。ひとつ気になるんだけどさ」
「何だ?」
「何でビルの図面でも見てるみたいに、そんなに詳しいんだ?」
「ネトゲの知り合いに一度そこに侵入した人がいてさ、そいつに教えてもらってんだよ」
現在進行形かよ、しかもネトゲの知り合いって・・・そんな奴の情報おれ達に横流ししてんのかよ。
「信憑性あるんだろうな」
「大丈夫だ、一緒に世界を救った仲だ」
廃人仲間か・・・、おれは世界を救ったお前を救ってやりてェよ。
「ちなみにそいつの名前は?」
「イニシャルしか分かんね、M・Yだ。ネカマじゃなきゃ女だな」
ミスM・Yかよ・・・おれ達はミスM・Yの手の平の上か。思えば東京に来たのも、追われ始めたのも、ミスM・Yが最終工程を送って来たから。何なんだ一体、何者なんだ。どんな理由があってこんな。
「オイ、人が途切れた、行くぞ」
シキの小声で現実へ意識を引き戻された。そうだ、今は考えている場合じゃない。行かなきゃ。
トイレの物陰から飛び出して、走ってエレベーターホールまで辿り着く。ボタンを押してもすぐにはエレベーターは来ない。ただ待っているだけの時間が辛い、万力でキリキリと心臓を潰されている様だ。FPSの言う通り、ここまで見つかる事なく来られたのは、幸運によるもの。この先もそれが続く保証はない。
シキの言うとおり、障害物は排除しないと進めない。
ポーン、
来た。
エレベーターが開く前に、おれとシキは左右の死角に隠れた。
コトッ、
開いた扉の中から物音がした。・・・最悪だ、誰か居る。どうする、やり過ごすか? それとも強行するか? 一人ならなんとかなるかも知れないけど、中の様子は分からない。シキに目線を送ると、目を閉じて深呼吸をしていた。アレは覚悟を決める呼吸、つまり強行する気だ。俺も一気に肺に酸素を送り込んで息を止めた。不思議な事におれ達は似てないくせに息が合うのだ。こんな風に。
ゴゥ、
扉が閉じ始めた瞬間に、おれとシキはエレベーターの中に滑り込んだ。一瞬で中の人間が一人だけと見ると、シキは有無を言わさず、滑り込んだ勢いのまま体を激突させた。
ドシン!
中背の三〇代、文化系、細身・・・おれが人物鑑定をしている間に、シキは両腕の関節を取って、男を這いつくばらせてしまった。
「・・・ッ・・・」
ガン!
〝痛い〟とでも言おうとしたのか、しかしそれが声になることはなかった。シキの銃床の一撃が正確に男の背中に命中し、息も出来なくなった男は、身をよじって痛みに耐えるしかなかった。その隙におれはガムテープで、男の両手足と口を封じた。
全て済んだと同時に、ようやくエレベーターは上昇を始めるのだった。
「ガクセイ、耳押さえろ」
「もう押さえてるよ」
男の両耳も塞いである。
タンッ!
エレベーター内のカメラに、シキは銃弾を発射した。
キンッ、キンキン、
薬莢が小さな音を立てると、シキは満足そうにうっとりとした目で銃を眺めた。破壊されたカメラがもし映ったのなら、ベストアングルでシキの顔を捉えた事だろう。距離感をなくした片目の俺には、シキの顔が歪んで見えた。
もう二度と、昔には戻れない。視力を無くした右目を撫でた。
ヴヴヴヴ、ヴヴヴヴィ、
俺の後ろのポケットで携帯のマナーモードが鳴り出した。FPSか? シキの方に掛ければいいものを。取り出した携帯に表示された着信の名前に、思わず声を上げてしまった。
「コッペ⁉」
「何、どうした?」
おれの大声にシキは目を丸くしながら、鬱陶しそうに訊いてきた。
「コッペから電話だ。あいつ無事だったんだ」
「何? コッペだと? 待てガクセイ、その電話出るな!」
止めるシキだったが遅かった。もうおれは通話ボタンを押して、携帯を耳につけていた。
「もしもしコッペか、よかった無事だったんだな、今どこに居る?」
「東京だよガァラァァイ」
背筋に爪を立てられた感覚に襲われ、手から携帯を投げ捨ててしまった。引きつった顔が戻らない・・・耳に残った感覚に吐き気がした。この声はイナミ、奴の声だ。おれの反応に驚きもしないで、シキは投げ捨てられた携帯を拾った。
「イナミだな?」
「女? ・・・ああ、加賀志貴か・・・私はそうだ、イナミだ」
「テメェ、何でコッペの携帯持ってやがる! コッペはどうしたっ!」
シキに向け絶叫した。狭いエレベーター内におれの声が大音量で響き、それでやっとおれの心に冷静さが戻ってきた。
「小藤鉄平ならまだ生かしてある。生かしたまま返して欲しければ加賀志貴、お前の持っている小藤宛の市松唯の手紙をよこせ」
「寄越せ? ふん、黙れ。頭にのるな。お前等が手を出したモノが何なのか、今わの際の刻みまで後悔させてやる」
「小藤がどうなっても・・」
「忘れるな!」
イナミの言葉を遮って、シキは更に口を開いた。
「先輩を撃った時から、お前等とオレ達の関係は決着した。オレはお前等を討つ。それ以外オレはお前等に何もしないし何も与えない。以上だ! くたばれっ!!」
カチャ、タァン!
シキは罵倒すると、おれの携帯を木っ端微塵に吹き飛ばしやがった。
「な・・・何やってんだよシキ!」
「後で弁償してやる」
「携帯の事じゃない、いや携帯もだけど・・・それよりコッペが人質に取られてるってのに、あの対応は絶対まずいって!」
「AーーAーーAーーうるさい。どうせすぐ近くに居るんだから救出すればいいだろ」
「は?」
「始めにイナミが言っただろう、東京に居るって」
そういえば言っていたな、東京って・・・。
「ここにあいつ等が居るって事か?」
「そう言った」
ポーン、
エレベーターが十五階に到着した。
扉から首だけを出して左右を確認すると、シキは先に進んで行ってしまった。おれとの会話はここまでという事か。〝今は喋るより動け〟とシキの無言の背中は言っていた。
「悪いけど誰か来たら助けてもらってくれ。んじゃ」
ガムテープで拘束した男に一言掛けて、おれもシキの後を追った。暴行と器物破損が、この先これ以上ない事を願うばかりだ。
・(イナミサイド)
「くたばれっ」
カチャ、タァン!
「グッ! ・・・携帯を壊したな・・・コンドー逆探知はうまくいったか?」
「はい・・・い・・そ、それが変・・です。基地局が・・・ここ周辺の基地局を使ってる・・・るんです」
「ほぅ・・・それは面白い、学生達ここに来てるな・・・コンドー、人数を集めてビルの中を捜せ、私はセキュリティ室に行く」
「は・・・・ハイ」
「イネダ君、少し待っていたまえ。君の先輩を捕まえて来る」
「イナダです!」
「ん・・・そうだったな。失礼」
・(ガクセイサイド)
「時にガクセイよ」
「何?」
隠れながらの移動中、シキが唐突にこちらを向いた。
「なぜコッペは捕まった? お前い居場所がバレた理由分かるか?」
「いや・・・知らない。おれがコッペの家にいた事は誰にも話してないし」
少し考えた後、シキは目を光らせながら口を開いた。
「質問を変えよう、誰が居場所を教えたと思う?」
「誰が? それはつまり、おれ達の中に裏切り者が居るって?」
シキは首を縦にふった。少し心の穴が拡がった気がした。
「まずコッペはどうだ? 自作自演も十分有り得ると思うぞ」
「それはないね。コッペは後ろ向きで軟弱な奴だが、あいつは漢だ。気弱でも侍で漢だよ、あいつは。もし裏切ったなら、指を詰めて事前に皆に配って回るぜ」
「たいした信頼だな」
呆れた声が返ってきたが、別になんとも思わない。当然ではないか、小藤鉄平という男がどんな奴か知っていれば。
「じゃあ、お前はどうだ?」
「おれ? おれが裏切ってたらそもそもこんな面倒なことになってないぜ。それよりもシキはどうなの?」
「・・・・・オレが裏切ってたらお前い達はもう此の世にいない」
「ご尤もだな。じゃあ、あいつか」
「あいつだろうな、残念な事に動機も分からなくもない」
「・・・・・・」
シキの言葉には肯定も否定も出来なかった。
「もしもの時はどうする」
「何? もしもって」
「銃を持ってないお前いに訊いたオレがバカだった。あいつがもしも邪魔して来たら、躊躇なく撃つからな」
二人の脳裏には同じ人物が映っているのに、片方はもうそれを敵と見ていた。
「別にそうと決まった訳じゃないだろ、そんな物騒な物言いは止めてくれ」
ちょっとバカにした目で、シキはおれから目線を外した。
「お前いのそういう所大嫌いだ」
「え?」
シキの呟きを聞き逃した。
「バーーーーカ」
バカにされた。ものすごく、優しさを込めて。
チャキッ!
おれの後ろの通路の陰から物音がした。・・と、思ったらシキの銃口がこちらを向いた。
目線が交わった瞬間、電光石火でおれは感じた。撃つ気だ!
ガシュ!
感じ取った瞬間に、おれの手はシキのコルトのスライドを握った。少しでもスライドがズレれば撃鉄は落ちない。銃を発砲出来ない様にして、おれはシキを目の前の部屋に引っ張ってドアを閉めた。
「何しやるに!」
「黙ってろ」
カツ、カツ、カツ、カツ、
人の気配が通り過ぎるまで、おれとシキはドアに背をもたれ息を潜めた。足音が完全に聞こえなくなってやっと、おれはコルトのスライドから手を離すことが出来た。
「何で邪魔した」
開口一番は文句の言葉だった。礼を言われるとは思ってなかったけど・・・一応おれ、お前を助けたんだぜ?
「関係ない人間まで傷つけるな」
「はぁ? 先輩を撃った組織の連中だぞ」
「だけどおれ達には何もしてない奴等が大半だ。それにこんな所で騒ぎを起こしたら、身動きが取れなくなるんだぞ」
「・・・・・次邪魔したらもろとも撃つからな」
敵意しかない言葉に思わず絶句してしまった。それでも一応この場はおれの言い分を受け入れて、シキは怒りを収めてくれた。
「さっさと次行くぞ、ここには何もない」
立ち上がって、シキはドアを開けた。
⁈
視界にハゲ頭が入った。何か言うのでは間に合わない、おれは無言でシキのピンク髪のウィッグを引っ掴んだ。あいつが居る、あのハゲだ。
ダン!
銃声がした。多分コンドーのグロック17。
「チッ」
つづけて、顎下スレスレで銃弾を躱したシキが、舌打ちと同時に二斉射ドアの外へ放った。
ガタンッ、タ、タァン!
「クソッなんでバレた!」
バタン!
すぐに後退してドアを閉めたシキの顔は、焦りと興奮でギラギラしていた。
おれが掴んでズレたウィッグの前髪をクシャクシャと握りながら、シキの呼吸は徐々に大きくなる。
求めていた標的の一人を見つけて、シキの眼は、濁った光を宿しながら見開く。
「――――いた――――。」
腹の底から吐き出したみたいなその声には、異様な静けさがあった。思考が〝驚き〟から〝応報〟に切り替わっていた。
「コンドー、臨獄の時だHAーHAーHA」
まずい、ここで撃ち合っても一銭の得も無いのに、ええい仕方ない。
バサン!
シキの頭からウィッグを叩き落として、シキを正気に戻した。
「逃げるぞシキ」
ドアに鍵を掛けて、スポーツバッグからロープを出した。しっかり結んでいる余裕はない。クーラーの配管に引っかけて窓を開ける。ビルの真裏らしい。ロープを垂らすと足音がした。
ドタドタドタ、ガチャ、ガチャン、
もうコンドーがドアの前まで来た。急がないと。
ロープに掴まって、一階下の窓へ向けダイブした。
ガシャン! バリーン、
蹴破ってみると、そこは部屋ではなく通路だった。
着地したと同時に上で銃声がした。
鍵でも撃ってるのか?
「シキ! 早・・」
上に声を掛けたつもりが、シキはもう目前に迫っていた。
ドカ!
「グゥア」
おれが蹴破った窓から突入してきたシキは、おれに向け飛んで来た。若干狙って来た感がある。おれの脇腹に足裏を喰らわせた後、立ち上がってすぐ銃を構えた。誰も居ない、ひとまず安心、そう思って居るんだろうが、今誰か踏んでない?
上からは数人の足音と話し声、ドアを突破し、おれ達が逃げたのを知ったんだろう。追ってくるぞ、どうする。
シキの隣に立ち上がると、シキは〝あのハゲがコンドーだな〟と訊いてきた。どうやら出直す気はなく、このまま強行するらしい。〝そうだ〟と答えると、無言でコルトをトカレフに持ち替えた。
カシャ、
スライドを引いて、待ち伏せの準備を始めた。
「コンドーどうだ、捕まえたか?」
「ダ、ダメです。下の階・・に、逃げ、逃げられま・・・した」
「わかった、コンドーお前は西側から行け、私は反対側から行く、挟み撃ちだ。加賀はいいが賀来は撃つなよ、いいな」
「りょ、了解」
・・・・・・。
おれは先刻からずっと足音を捜していた。ほとんど唯一と言って良いおれの特技。それは耳。特別良く聞こえる訳ではないが、聴けばだいたい理解する。その方向、速度、人物、それくらいなら分かる。
「――――――」
・・・・コ・・・カッ・・コ・・。
「来た! コンドーを先頭に左右に一人ずつ」
「撃つからな」
「やり過ぎるなよ」
「言うに事欠いて良くそんな事が言えたな。オレの怒り、知らないとは言わせないぞ」
だから、止めてはいないんじゃないか。本当はお前に、人を傷付けてなんか欲しくない。シキにもコンドーの足音が聞こえたらしく、トカレフを握る手が強ばり、スッと顔から表情が消えた。もうコンドーを撃つとか、追われているとか、そういう余計な事を考えなくなった。きっと今シキの世界にあるのは、銃の重みと人差し指と、照準を中心に切り取ったほんの数センチの景色だけ。他の全てを排除して、シキはまさに今、人殺しの機構の一部と化した。
バタッ、バタッ、バタッ、
足音がどんどん近付いて、それと比例する様におれの膝は震えるのだった。分かってる、こういう荒事は向いてないない事くらい。でも立っていろ、最後まで逃げずに・・・立っていてくれよおれの足。
ドタ、ドタ、ドタ、
シキとおれが居るのはL字路の終点。角から五mは行った所。足音は角の向こうからずっと聞こえて来ているから、長い直線をコンドーとその他二人が走って来ているのは間違いない。当然角を曲がればおれ達と御対面する訳だが、そうなった場合たとえシキが先制を取れたとしても、射手の数が三対一では結果は火を見るより明らかだ。そう、このまま待ち伏せても勝てないのだ。・・・そんな事はシキだって分かっている、だからシキは、向き合わないで撃つ方法を考えた。
ドタドタ、パリ! バリン!
来た! 足音にガラスを踏む音が混じった。しかしおれがそれ以上足音を聞く事はなかった。すぐ隣でシキが、待っていましたとトカレフを全弾速射したからだ。
パコン、シャコ パコン、シャコ・・!
始めの二発くらいは判別出来たが、後はもう数える事が出来なかった。シキが発砲したのは壁だ。壁を狙って全てを撃ちきった。弾丸はコンクリートの壁などには興味は無く、もっと軟らかいものを求めて跳ね返る。
跳弾射撃。
着弾エリアは、おれ達がこの階に突入する時に蹴り破った、ガラスの散乱する地点。自然な形でその場に落ちている鳴子を、コンドー等は警戒する事なく踏んだ。シキの射線に入ったとも知らずに。
倒した・・・そう確信したのは、シキも同じだったと思う。事実ガラスを踏む音は止んでいる。
「痛」
シキはトカレフを左手に持ち替え、右親指の付け根を咥えた。火傷でもしたのか?
おれが心配して近付こうとした時だった。
バリン、バリ、タッタッタッタッ、
一人分の足音が続きを始め出した。
「撃ちもらしたっ!」
シキは叫ぶと同時にトカレフを床に投げ捨て、コルトウッズマンを抜いた。シキは気付いていない、この足音はコンドーだ。脳裏におれの目の前で鮮血を散らすシキの姿が見えた。
死ぬ、撃たれる・・・シキも先輩みたいに、このままじゃ・・・このままじゃあ、死ぬ。シキが死んでしまう。嫌だ! そうはさせない!
ガッガラン!
足元の消化器を両手で掴んで、通路の角へ向け放り投げた。
足音の主がついに影を見せたのはその時だった。空中の消化器とその影が重なり、シキは引き金を引いた。
タァン!
銃弾は消化器を貫き、炸裂させた。
ボォン! ダンッ、
消化器の粉塵はおれ達もろともコンドーを吹き飛ばした。消化器の爆音にまぎれた銃声はコンドーのもの、やはり銃を抜いていた。しかも完全な殺意をもって。でなければグロックのトリガーに指なんか掛けられない。
「ガハッゴホッゴホッ」
飛散した消化粉であたりが見えない。でもシキの手は取れた。力一杯掴んで引っ張った。こうでもしないとトドメとか言って、もう一悶着ありそうだ。コンドーが今ので戦闘不能になったとも思えない、この至近距離で撃ち合いになれば確実に血が流れる、それは望まない。そんな事をしに来た訳ではない。この場所には裁きに来た。全てを知り、全てを・・・裁きに来たんだ。間違えてはいけない、誰も彼も傷付けて良い理由など持ち合わせてはいないのだ。そう、たとえそれが仇であっても、おれはまだ撃てない、本当の意味でイナミとコンドーが何をしたのかを知らないからだ。それを訊き出さなければ、あいつ等の罪を知れない、先輩の遺志を知れない。シキを引っ張って後ろにおいやり、おれは角へ向かって跳んだ。そこにコンドーが居る。捕まえて吐かせる! 全てを!
今こそ過去を取り戻そう、友を背に、恩師を胸に、残酷な真実へ、おれは手を伸ばした。
「ウアオオオオオ」
一番始めに銃口が目に入った。煙から出た瞬間に、コンドーがこちらに気付き応戦して来た。コンドーは爆発で壁に叩き付けられたらしく、壁にもたれ座っていた。射線から身を低くして外れると、幸運にも銃弾はおれの上を掠めて行った。肩間を狙ったらしい、少しカスって制服が溶けた。
第二射は撃たせない!
歩幅を広げ、止まる事を諦めた。こうでもしないと間に合わない。
グシャ!
肩からコンドーの身体に激突した。
「痛て・・・」
相当な衝撃だったが、おれと壁に挟まれたコンドーはもっとだろう、間もなくグロック17が音を立てて床に零れ落ちた。体当たりはコンドーにまず間違いなく効いた。今度こそお前を・・・。
グ・・・ガ・・ガッ、
腕を掴み合いながら睨み合う。あれだけの衝撃を受けて、まだ抵抗出来るのか。
「ググク」
力んでも力んでもコンドーはビクともしない。片目のおれが殴り合いをしても距離感がないから多分負ける。掴み合いで取り抑えるしかない・・。
ドサッ!
どさっ? 何だ今の背後からした音、シキか?
「シキ、手を貸してくれ」
「・・・・・」
反応がない・・・ザワザワと嫌な予感がした。これはデジャブに近い、コッペの家であいつに出会った時の様な。グルリと首を捻れば煙の晴れ間に手、男の手。そこには見憶えのある黒い警棒が握られている。心は直感し、体は震えた。身の毛寄立つ声を聞く前から、おれはそいつの名を叫んだ。
「イナミィ!」
奴の足元には、シキが動く事を諦めた様に倒れていた。見えない右目すらも見開いて、おれは身を翻しイナミへ向けて拳を握る。
「シキに何をしたァァアア!」
ガッ、ガクン、
突如後ろから関節を取られ床に体を押し付けられた。コンドーか⁉ チクショウ、畜生! 届かない、届かないのかよ、この距離で! この怒りで! 畜生!
「イナミィィィ!」
「そう何度も呼んでくれなくて結構だ」
「お前、お前等ァ!」
「ケイビ隊本部へようこそ。高校生二人でよくもまぁ・・・舐められたものだな」
言葉に含まれているのは怒りよりもむしろ、感心に近いものだ。だが目は冷ややかにおれを見下している。まるで捕まえた獲物が思ったより小さくて、がっかりとする様に。言葉と目は別々の調子で、おれに向けられている。
「それにしても、まさかこの場所を知っていたとは・・・お前達には訊くことが増えたな、だが二人もいらない」
言葉の意味は、イナミが銃を抜く前から理解していた。イナミは警棒を拳銃(SIG/P220)に取り替えた。
暴れても腕の痛みが増すばかり。おれはまた・・・また、失うのか? 目の前で―――。
「止めろ・・・止めろ!」
スーーーとイナミの手は、真下に横たわるシキの頭部へ向けられ、止まった。このまま奪われるのか? イナミの手でふたたび。撃たれる? シキが? 嘘だ! こんな・・・こんなものが、おれの望んだ戦いの、結末だと。
ダン!